建徳
けんとく
名詞
標準
Kentoku era (of the Southern Court; 1370.7.24-1372.4.?)
文例 · 用例
あまりに前置きが長くなりましては御退屈でございましょうから、ここらで本文に取りかかります」 妖鬼を祭る 祁州の汪氏の息子が番陽から池州へ行って、建徳県に宿ろうとした。
— 夷堅志 『中国怪奇小説集』 青空文庫
しかし私は取り残してある「建徳江に宿す」の詩が、十九首の中で一番好きである。
— 河上肇 『閑人詩話』 青空文庫
御歌集は『李花集』といって、建徳二年(五十九か六十)までの御作を集めてある。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
山東一帯を鎮撫してから、一躍建徳将軍に封ぜられ、費亭侯の爵に叙せられ、養うところの兵二十万、帷幕に持つ謀士勇将の数も、今や彼の大志を行うに不足でなかった。
— 草莽の巻 『三国志』 青空文庫
誰かてまだ二三年は受合や言うてるし、おれ、今日仏さんの前でけんとく(予想)みたんや、『吉兆』と心の底で声がしたわい」「そら分かってる。
— 山本勝治 『十姉妹』 青空文庫
――ナンキン墓へ来て昼寝をして、その夢をけんとくに富籤を買うとあたるという迷信があるのさ。
— 吉川英治 『かんかん虫は唄う』 青空文庫
作例 · 標準
建徳元年(1370年)、南北朝時代は混乱の中にあった。
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この古文書は、建徳年間に書かれたものとされている。
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建徳という元号は、南朝の後村上天皇が用いたものである。
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ウィキペディア
建徳(けんとく、 は、日本の南北朝時代の元号の一つ。南朝方で使用された。正平の後、文中の前。1370年から1372年までの期間を指す。この時代の天皇は、南朝方が長慶天皇、北朝方が後光厳天皇・後円融天皇。室町幕府将軍は足利義満。
出典: 建徳 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0