青屋
あおや
名詞
標準
文例 · 用例
山里丸の一加番が越前大野の土井能登守利忠、中小屋の二加番が越後|与板の井伊|右京亮直経、青屋口の三加番が出羽長瀞の米津伊勢守政懿、雁木坂の四加番が播磨安志の小笠原|信濃守長武である。
— 森鴎外 『大塩平八郎』 青空文庫
焔硝蔵と艮の角の青屋口との中間に、本丸に入る極楽橋が掛かつてゐる。
— 森鴎外 『大塩平八郎』 青空文庫
青屋口には門の南側に加番の詰所がある。
— 森鴎外 『大塩平八郎』 青空文庫
青屋口加番の詰所から南へ順次に、中小屋加番、雁木坂加番、玉造口定番の詰所が並んでゐる。
— 森鴎外 『大塩平八郎』 青空文庫
青屋口から茶臼山にかけての軍勢は、真田|左衛門尉幸村父子、少し南に伊木七郎|右衛門遠雄、渡辺|内蔵助糺、大谷大学|吉胤らが固めて、総勢六千をわずかに出ているに過ぎなかった。
— 菊池寛 『忠直卿行状記』 青空文庫
エタが皮作りの職人のみでなく、かつては浄人(塵袋)をも、河原者(※嚢抄)をも、青屋(三好記雍州府志)をも、エタの名を以て呼んでいた事は、「エタと皮多」(三巻六号)の条下にも既に説き及んでおいた事である。
— ――サンカモノは坂の者 『サンカ者名義考』 青空文庫
別項「青屋考」中に述べた如く、細川・三好時代の阿波に於いては、一方に僧侶の或る者からは、エタ仲間と認められた青屋が甚だしく毛嫌いされていたが、一方では彼らは大名の小姓ともなり、侍の嫁ともなり、或いは自身侍に取り立てられたりしても、あえて不思議はなかったのであった。
— 喜田貞吉 『エタに対する圧迫の沿革』 青空文庫
否むしろエタの方が慶長以前に於いて既に、「音楽のやから、青屋・墨焼・筆結」等の上だと言われていただけに、地位のよかったものであったに相違ない。
— 喜田貞吉 『エタに対する圧迫の沿革』 青空文庫