日朝修好条規
にっちょうしゅうこうじょうき
名詞
標準
Treaty of Ganghwa (1876)
作例 · 標準
1876年に日朝修好条規が締結され、朝鮮半島は開国を迫られた。
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歴史の教科書で日朝修好条規について詳しく学んだ。
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日朝修好条規は、不平等条約の一つとして知られている。
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日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)は、1876年(明治9年)2月26日(時憲暦光緒2年=高宗13年2月2日)に日本と李氏朝鮮との間で締結された条約とそれに付随した諸協定を含めて指す。条約正文では「修好条規」とのみ記されているが、通例として朝鮮国との修好条規(ちょうせんこくとの-)、日朝修好条規、日鮮修好条規(にっせん-)などと呼称する。条約の締結は江華島事件における雲揚艦の賠償とみなし、明治初期から発生している書契問題の解決に至り、明治政府と朝鮮国間の正式な外交関係を確立したもの。江華島で調印されたため江華島条約 とも、丙子の年に結ばれたために丙子修交条約 ともいう。
出典: 日朝修好条規 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0