江戸唄
えどうた
名詞
標準
文例 · 用例
上方では、長唄・清元・常磐津など、それにもつと古く這入つた唄や、江戸浄瑠璃の類を括めて、江戸唄と言つてゐた。
— 折口信夫 『地唄』 青空文庫
明治以後、一番先に、江戸唄らしいものゝ、大阪へ這入つて来たのは、新内であつた。
— 折口信夫 『地唄』 青空文庫
とにかく、それ等は、一括して江戸唄と言ひ、中には、江戸の方で消えたものが残つてゐる。
— 折口信夫 『地唄』 青空文庫
其等、江戸唄の本は、上方では、別にまとめられて、枕本の形で残つてゐるものが、幾つかある。
— 折口信夫 『地唄』 青空文庫
上方では、旧幕時代から引き続いて、明治の中頃に到るまで、関東から来た芸謡は、すべて、長唄であらうと、清元であらうと、一中であらうと、新内であらうと、皆ひつくるめて、たゞ江戸唄と言つた。
— 折口信夫 『長唄のために』 青空文庫
だからその後、明治三十年代になつて、上京して初めてこちらで時折、長唄や清元を聞いた訣だが、長唄にしても、清元にしても、これが所謂上方の江戸唄の系統のものかと驚いた程に、大阪で聞いた江戸唄の印象とは違つてゐた。
— 折口信夫 『長唄のために』 青空文庫
おそらく、大阪ではじめて長唄を芝居へ入れたのは、斎入市川右団次(大正五年歿七十歳)であつたのだから、それ程大阪の町には、江戸唄は縁がなかつたのである。
— 折口信夫 『長唄のために』 青空文庫
今の長唄、清元、常磐津その他、元は関西から来て長く江戸に流行って、俗に江戸唄と称せられるものの中に、その道の大家の唄われるのを聞くと、月とか花とか風とかいう言葉には関西のアクセントそのままのものが残っている。
— 宮城道雄 『声と性格』 青空文庫