難波潟
なにわがた
名詞
標準
Naniwa Bay (old name for Osaka Bay)
文例 · 用例
いつそ沈まばどこまでもと、跡を慕うてかちはだし蘆の浦々難波潟身を尽したる心根を不便と思うてとも/″\に、俊徳様のゆくへを尋ね、めをとにしてくださんすが、親のお慈悲と手を合せ、拝み廻れば、母親も今更あきれわが子の顔、唯うちまもるばかりなり。
— 折口信夫 『玉手御前の恋』 青空文庫
なお、「難波潟潮干に立ちて見わたせば淡路の島に鶴わたる見ゆ」(巻七・一一六〇)、「円方の湊の渚鳥浪立てや妻呼び立てて辺に近づくも」(同・一一六二)、「夕なぎにあさりする鶴潮満てば沖浪高み己妻喚ばふ」(同・一一六五)というのもあり、赤人の此歌と共に置いて味ってよい歌である。
— 斎藤茂吉 『万葉秀歌』 青空文庫
さて、西国の平家は昨年の冬の頃から、讃岐の屋島の磯辺を離れ、摂津の難波潟へ押し渡り、西は一の谷を城とし、東は生田の森を大手の木戸口と定め、一の谷から生田に至るまで、福原、兵庫、板宿、須磨に立てこもる軍勢、つまり山陽道八カ国、南海道六カ国、合わせて十四カ国を討ち従えて、その軍勢十万余騎と称された。
— 第九巻 『現代語訳 平家物語』 青空文庫