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コンピュートピア

コンピュートピア
名詞
1
標準
computopia (computer utopia)
文例 · 用例
★東北大学の大泉充郎らがどのような経緯で電子計算機の開発を目指し、渡部和らがいかに悪戦苦闘を続けたかは、東北大学側を情報源とした、八甫谷邦明「SENAC開発余話」(『コンピュートピア』一九七五年八月号)に詳しい。
富田倫生 パソコン創世記 青空文庫
塚本たちがマイクロコンピューターに取りつかれた一九七六(昭和五十一)年の夏、西和彦が『コンピュートピア』誌の記者として電通大を訪ねてきた。
富田倫生 パソコン創世記 青空文庫
★このとき西がまとめた原稿は、「にし君のアマチュア・マイコン・グループ探訪記」のタイトルで『コンピュートピア』誌の一九七六年十一月号に掲載されている。
富田倫生 パソコン創世記 青空文庫
★『コンピュートピア』一九七七年六月号所収の「マイコン・ホビイストは何をめざす?
富田倫生 パソコン創世記 青空文庫
大阪大学基礎工学部に籍を置いていた一九七六(昭和五十一)年、山下は『コンピュートピア』の発行元であるコンピュータ・エイジ社が主催したイベントで、早稲田大学の西和彦と出会っていた。
富田倫生 パソコン創世記 青空文庫
安田はコンピューター産業の業界誌的性格の強かった『コンピュートピア』誌の編集長を口説き落として、マイクロコンピューターを使ったシステムの自作記事の連載を決め、一九七五(昭和五十)年七月から執筆に着手した。
富田倫生 パソコン創世記 青空文庫
半導体部門でマイクロコンピューターの販売を担当しているという後藤富雄は、安田が『コンピュートピア』に連載を始めた直後からしばしば研究室を訪ねるようになっていた。
富田倫生 パソコン創世記 青空文庫
コンピュートピア』の発行元であるコンピュータ・エイジの主催で、銀座のソニービルを会場に開かれたコンピュータアート展には、松本も安田研究室からの出展の脇に連載記事に書いたMYCOM―8を並べ、バッハのインベンションを演奏させていた。
富田倫生 パソコン創世記 青空文庫
作例 · 標準
科学者たちは、誰もが平等に情報にアクセスできるコンピュートピアの実現を夢見ています。
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彼はインターネットの未来をコンピュートピアとして描き、多くの人に希望を与えました。
幻辭AI · gemini-2.5-flash
私たちが目指すのは、技術が人類に貢献する真のコンピュートピアです。
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ウィキペディア

コンピュートピアはかつてコンピュータ・エージ社が発行していた月刊コンピュータ専門誌。

出典: コンピュートピア — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0