河南省
かなんしょう
名詞
標準
Henan Province (China)
文例 · 用例
周時代でも、漢族の根據地の所謂中國は、黄河の左右に限られ、今の地理でいへば、大略河南省の全部と、陝西・山西・直隷・山東・湖北の一部に過ぎぬ。
— 桑原隲藏 『秦始皇帝』 青空文庫
彼等はその根據地を中國とか中夏とか、又は華夏とか誇稱したが、そは今の河南省を中心とした北支那の異名に過ぎぬ。
— 桑原隲藏 『歴史上より觀たる南支那の開發』 青空文庫
秦の始皇帝や、漢の武帝が、南方經營に力を盡くし、この方面に漢族の移住する者多きを加ふると共に、南支那の風氣は幾分開發されて來たけれど、漢代の諺にも、關西出將、關東出相とある通り、文武の大人物はみな函谷關(河南省)の左右に當る北支那から出て來た。
— 桑原隲藏 『歴史上より觀たる南支那の開發』 青空文庫
西暦千百二十七年に、宋は塞外より起つた女眞(金)種族の爲に、その國都開封(河南省)を陷られ、宋の高宗は南に移り、遂に杭州(浙江省)を根據として、ここに宋室を中興した。
— 桑原隲藏 『歴史上より觀たる南支那の開發』 青空文庫
韓世忠(陝西省)、岳飛(河南省)、張俊(甘肅省)等、南宋の初期に活躍した人を見渡しても、北支那から南移した者が多い。
— 桑原隲藏 『歴史上より觀たる南支那の開發』 青空文庫
先秦から兩漢時代にかけて、繁華な大都會といへば、北支那に限つたもので、長安・洛陽は固より邯鄲(直隷省)、大梁(河南省)等、中々の景氣であつたが、南方の開發すると共に、揚州(江蘇省)、建康(江蘇省)さては杭州(浙江省)、蘇州(江蘇省)等、南支那の大都會の繁華が、次第に北方のそれを凌駕するに至つた。
— 桑原隲藏 『歴史上より觀たる南支那の開發』 青空文庫
函谷關は今の河南省河南府靈寶縣に在つて、洛陽の古都より西四百〔支那〕里に當つて居る。
— 桑原隲藏 『老子化胡經』 青空文庫
土器では三本脚のれきなどでありますが、近頃にいたつて河南省や甘肅省あたりでは、墨色の繪の具で模樣を描いた美しい土器が、石器と一しょにたくさんに發見されますが、これは石器時代の末期にあつたものと思はれます。
— 濱田青陵 『博物館』 青空文庫
作例 · 標準
河南省にある少林寺を訪れ、武術に励む修行僧たちの迫力ある演武を目の当たりにした。
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河南省は中原文化の発祥の地として知られ、龍門石窟など数多くの歴史的遺産が点在している。
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長旅の末にようやく河南省の省都である鄭州に到着し、名物の烩麺を食べて一息ついた。
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