寛文
かんぶん
名詞
標準
Kanbun era (1661.4.25-1673.9.21)
文例 · 用例
さすがに上吉田は、明藤開山、藤原|角行(天文十年―正保三年)が開拓して、食行身禄(寛文十一年―享保十八年)が中興した登山口だけあって、旧|御師町らしいと思わせる名が、筆太にしたためた二尺大の表札の上に読まれる、大文司、仙元房、大注連、小菊、中雁丸、元祖|身禄宿坊、そういった名が、次ぎ次ぎに目をひく。
— 小島烏水 『不尽の高根』 青空文庫
寛文年間も大きな地震の多い年であった。
— 田中貢太郎 『日本天変地異記』 青空文庫
与右衛門はそれでも女房のことを心配していたが、それは寛文十一年|即ちお菊が十三の八月まで生きてその月の中旬に死んだ。
— 田中貢太郎 『累物語』 青空文庫
その子弥五太夫が寛文十一年に病死して家が絶えた。
— 森鴎外 『興津弥五右衛門の遺書』 青空文庫
宗春と改名して寛文十二年に病死した。
— 森鴎外 『興津弥五右衛門の遺書』 青空文庫
しかし同時にそれを万治寛文の頃としてあるのを見れば、これは何かの誤でなくてはならない。
— 森鴎外 『興津弥五右衛門の遺書(初稿)』 青空文庫
これが牡丹燈籠の原話の梗概であるが、この原話は寛文六年になって、浅井了意のお伽婢子の中へ飜案せられて日本の物語となり、それから有名な円朝の牡丹燈籠となったものである。
— 田中貢太郎 『牡丹燈籠 牡丹燈記』 青空文庫
扨柳亭筆記に京順禮の始より萬治三年と寛文五年と二説ある由を示し、寛文四年の印本に、老婆物語と題する洛陽三十三所觀音の縁起を聚めし册子あれば、此事寛文の初より起り、寶永正徳の頃迄も有しなるべしとある。
— 並にサンヤレの事 『女順禮』 青空文庫
作例 · 標準
この浮世絵は、寛文年間に江戸で描かれたものだ。
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古文書を調べたところ、我が家の先祖が寛文三年にこの土地に移り住んだことが分かった。
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その寺院の梵鐘には「寛文十年」の銘が刻まれている。
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寛文 は、日本の元号の一つ。万治の後、延宝の前。1661年から1673年までの期間を指す。この時代の天皇は後西天皇、霊元天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱。
出典: 寛文 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0