寄合衆
よりあいしゅう
名詞
標準
文例 · 用例
次に本郷弓町の寄合衆本多|帯刀の家来に、遠い親戚があるので、そこへ手伝に往った。
— 森鴎外 『護持院原の敵討』 青空文庫
こんな風に奉公先を取り替えて、天保六年の春からは御茶の水の寄合衆酒井|亀之進の奥に勤めていた。
— 森鴎外 『護持院原の敵討』 青空文庫
初め、寄合衆の一員になり、すぐ、書院番に更わった。
— 吉川英治 『大岡越前』 青空文庫
保科肥後守、同弾正、諏訪安芸守、平岩七之助、駒井右京など、二州の寄合衆に、浜松からは、井伊直政、城伊庵、玉虫二郎右衛門、矢代越中守などの諸将がそれに合流した。
— 第十一分冊 『新書太閤記』 青空文庫
「ここ博多の探題所は、英時どの滅亡のあと、大友、島津、少弐の三家が寄合にて、九州の国事を視て来たというが」「されば、以後は探題と呼ばず、松ノ口寄合衆と称え、三家の合議で治政してまいりました」「その一員、少弐|妙恵は太宰府で忠死いたした。
— 筑紫帖 『私本太平記』 青空文庫
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寄合衆(よりあいしゅう)とは、武家における合議体である寄合の構成員であるが、狭義では鎌倉幕府後期の北条氏得宗を中心とした幕臣による最高幹部会議、最高意思決定機関としての寄合の構成員を指す。
出典: 寄合衆 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0