義徒
ぎと
名詞
標準
文例 · 用例
「人の命を奪うは易く、助けて効を納めるのは難い、辛抱して効を納むる方、よろしかろうと存ぜられますな」 この彦六は慶安義徒の一人の、吉田初右衛門に有縁の者で、五十に近い年であり、業は寺小屋の師匠であった。
— 国枝史郎 『猫の蚤とり武士』 青空文庫
慶安義徒の重鎮の一人に金井半兵衛という痛快児があり、剣道にかけては正雪以上、党内に比肩者なしと云われた。
— 国枝史郎 『猫の蚤とり武士』 青空文庫
が、その年の暮に大石内蔵助が、かねて城明渡しの際|恩顧を蒙った幕府の目附方へ御礼かたがた、お家の再興を嘆願するために、番頭奥野将監と手を携えて出府した際、小平太は何物かに後から押されるような気がして、内蔵助の旅館を訪ね、誓書を入れて義徒の連盟に加わった。
— 森田草平 『四十八人目』 青空文庫
それを聞いて、義徒は皆|踴躍した。
— 森田草平 『四十八人目』 青空文庫
とにかく、一時百二十余名に上った義徒の連盟も、江戸へ集まった時には、こうして五十人余りに減ってしまった。
— 森田草平 『四十八人目』 青空文庫
本来、志士なるものが大量的に登場するのは、安政以来のことで、万延・文久|度のほうはいたる行動期となって、真木和泉『義挙三策』に見るように、みずから「義徒」と呼んだ。
— 服部之総 『志士と経済』 青空文庫
しかもそれが、いよいよ圧倒的に「草莽」義徒の間からもり上り、文久二年とともに湧き起る澎湃たる行動期の一特色は、すでに地方産商業家の中から算盤を棄て資財を抛ってみずから諸戦野に出動する者が続々として認められた点にある。
— 服部之総 『志士と経済』 青空文庫