南都
なんと
名詞頻度ランク #1296 · 青空 159 例
標準
Nara
文例 · 用例
そして伝教大師は、この戒壇には日本国民残らず全部を登壇授戒せしめて、一挙に民族精神の作興を企図されたのですが、南都の旧套仏教家の妨害に遭って、生前にはその官許を得られませんでしたが、死後、比叡山にこの授戒は行われたのであります。
— 岡本かの子 『仏教人生読本』 青空文庫
餞別として詩歌を贈られ候人々は烏丸大納言資慶卿、裏松宰相資清卿、大徳寺清巌和尚、南禅寺、妙心寺、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺|並びに南都興福寺の長老達に候。
— 森鴎外 『興津弥五右衛門の遺書』 青空文庫
『宇治拾遺』に永超|僧都は魚なければ食事せず、在京久しき間魚食わず、弱って南都に下る途上、その弟子魚を乞い得て薦めた。
— 鶏に関する伝説 『十二支考』 青空文庫
されど堂々たる南都七大寺の隨一たる東大寺の境内、叢芳賞心の種とならんは、盛衰の感あはれならざらんや。
— 内藤湖南 『寧樂』 青空文庫
明日坂本山王祭、明々後日葵祭拝見候て、南都へ一先罷越可申と存居候。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
「墓前に幅一尺二寸、高さ七寸の水盤を安んじ、其前面には横に「錦橋先生墓前置」と刻し、左側面に「玄之猶子南都仲元益拝」と刻し有之候。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
自ら猶子と称する仲元益が「南都」と書してゐるを見れば、近藤玄之も亦奈良の人かと推せられる。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
其の前年の八|月、英堂和尚が南都西大寺から多田院への歸りがけに、疝氣に惱んで、玄竹の診察を受けたことがあるので、一|度きりではあるが、玄竹は英堂和尚と相識の仲であつた。
— 上司小劍 『死刑』 青空文庫
作例 · 標準
「修学旅行で南都・奈良を訪れ、東大寺の大仏の大きさに圧倒された思い出がある」
幻辭AI · gemini-3-flash-preview
「南都の古寺を巡りながら、悠久の歴史に思いを馳せるのは至福のひとときだ」
幻辭AI · gemini-3-flash-preview
「かつて南都と呼ばれたこの地には、今も平城京の面影が色濃く残っている」
幻辭AI · gemini-3-flash-preview
標準
Kōfuku-ji (Buddhist temple in Nara)
作例 · 標準
「南都の僧兵たちが、強大な軍事力を背景に朝廷へ強訴に及んだこともあった」
幻辭AI · gemini-3-flash-preview
「南都七大寺の一つである興福寺の五重塔は、奈良のシンボルとして親しまれている」
幻辭AI · gemini-3-flash-preview
「彼は南都仏教の研究に没頭し、当時の教学の発展について論文を書いている」
幻辭AI · gemini-3-flash-preview
ウィキペディア曖昧さ回避
南都(なんと)は、首都等に関して南方に位置する都邑。特に、複都制を採用する場合に陪都のうち南方に位置するものの呼称。
一覧
- 日本の奈良時代に平城京があった奈良の別称。後に都になった平安京からみて南なのでこう呼ばれた。
- 奈良の興福寺の別称。「北嶺」である比叡山延暦寺と対にして「南都北嶺」と呼ばれた。
- 中国の唐代、760年から761年に陪都となった南都江陵府。現在の湖北省荊州市。
- 南都 (沖縄県の企業) — 沖縄県に本社を置く観光施設などを運営する企業。
- 南都銀行 — 奈良県に本店を置く銀行。
関連項目
出典: 南都 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0