継体
けいたい
名詞
標準
文例 · 用例
そのおあとには、継体、安閑、宣化、欽明、敏達、用明、崇峻、推古の諸天皇がつぎつぎにお位におのぼりになりました。
— 鈴木三重吉 『古事記物語』 青空文庫
あるいは美濃の養老の瀑の由緒を明らかにした碑を建て、あるいは美濃|垂井清水に倭建命の旧蹟を考証して、そこに居寤清水の碑を建て、あるいはまた、継体天皇の御旧居の地を明らかにして、その碑文をえらみ、越前足羽神社の境内に碑を建てたのも、この翁だ。
— 第二部下 『夜明け前』 青空文庫
が、古い処と言えば、第九回の文展に出した「花がたみ」は謡曲|花筐に取材したもので、時代は継体天皇の御宇と記憶しますから、随分古い方ではある。
— ――喜久子姫御用の「春秋屏風」その他―― 『画道と女性』 青空文庫
駿河ではやつた常世神(継体紀)、九州から東漸した八幡の信仰の模様は、新神の威力が、如何に人々の心を動したかを見せて居る。
— 折口信夫 『国文学の発生(第二稿)』 青空文庫
此古い形に対して、極端に変化したものを比べて見ると、継体天皇の時の事実と伝承した夜刀神を逐うた箭括麻多智の話である。
— 折口信夫 『「しゞま」から「ことゝひ」へ』 青空文庫
越前の国の門弟等の招きに応じると共に、恐らく、右の継体天皇御世系について案を練る考へであつたのだらう。
— 折口信夫 『橘曙覧評伝』 青空文庫
何となれば、三国氏が聖武天皇の後だとは、一向古書の記事に合わぬところで、「日本紀」には、継体天皇の皇子|椀子皇子は三国公の先なりとあり、「新撰姓氏録」に三箇所まで見えている三国真人も、いずれも継体の皇子椀子王の後なりとあって、その以外聖武天皇の後に、三国氏の名は少しも見えていないのである。
— 日蓮聖人はエタの子なりという事 『旃陀羅考』 青空文庫
雄略朝以後、特に継体朝以後推古時代までの間には、これらの大臣大連は西方文化との接触と中央集権の努力とをその活動の枢軸としている。
— 和辻哲郎 『日本精神史研究』 青空文庫