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康正

こうしょう
名詞
1
標準
Kōshō era (1455.7.25-1457.9.28)
文例 · 用例
……」「えゝ、しかし何は御不足でも医学博士、三角康正さんが、この一|行にお加はり下すつて、篤志とまでも恩に着せず、少い徳本の膝栗毛漫遊の趣で、村々で御診察をなすつたのは、御地に取つて、何よりの事と存じます。
泉鏡太郎 十和田湖 青空文庫
……驚破、相噛まば、戦はゞ、此波湧き、此巌崩れ、われ怪し飛ぶ、と声を揚げて「康正さーん。
泉鏡太郎 十和田湖 青空文庫
下柳渡戸から近い銀山は足利幕府時代、康正年間と伝へられ、長禄元年から五十年間ばかりは栄えた。
齋藤茂吉 支流 青空文庫
特に家康正信はしつこいほど慎重なたちで、かりそめにもかかる軽率なやりとりですませるやうな人柄ではなかつたのである。
坂口安吾 家康 青空文庫
康正二年の萱振合戦に、敵どうしに分れた両畠山、旗の色同じくて、敵御方の分ちのつきかねる処から、政長方で幟をつけたのが、本朝幟の始め(南朝紀伝)と言ふ伝へなども、信ずべくば、此頃が略、後世の幟の完成した時期、と言ふ点だけである。
折口信夫 まといの話 青空文庫
そしてこの類のことは、南北朝から室町時代へかけて、度々繰り返されているのである(康暦二年九月五日、応永十八年十一月十九日、同十二月二十一日、二十三年六月二十七日、同二十九日、康正二年二月二十三日など、そしてそれにはいつも掃除散所法師とある)。
喜田貞吉 俗法師考 青空文庫
三条西実隆は康正元年に生れ、天文六年八十三歳をもって薨じ、その日記も文明六年すなわちその二十歳の時からして、天文四年すなわちその八十一歳の時に至るまで、六十一年間のことを書きとめてある。
原勝郎 東山時代における一縉紳の生活 青空文庫
この公保は内大臣まで歴進したけれど、槐位に列することわずかに一か月余で辞し、その後五年、すなわち実隆が生れた康正元年に出家した。
原勝郎 東山時代における一縉紳の生活 青空文庫
作例 · 標準
康正元年に記されたこの日記には、当時の京都の荒廃した様子が克明に記録されている。
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康正年間は、室町幕府の権威が揺らぎ始め、戦国時代の足音が聞こえ始めた激動の時期だった。
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この寺の本尊は、康正の火災によって焼失した後に再建されたものだと言い伝えられている。
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ウィキペディア

康正 は、日本の元号の一つ。享徳の後、長禄の前。1455年から1457年までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇。室町幕府将軍は足利義政。

出典: 康正 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0