愚管抄
ぐかんしょう
名詞
標準
Gukanshō (1220 historical treatise by Jien)
文例 · 用例
虎は死して皮を留むとか、今井兼平などは死に様を見せて高名したが、『愚管抄』に重成は後に死にたる処を人に知られずと誉めけりとある。
— 猴に関する伝説 『十二支考』 青空文庫
「ほくろ」黒子、黶子(愚管抄には「ははくろ」とあり、「ははくそ」の転。
— 堀口九萬一 『東西ほくろ考』 青空文庫
特に社会科学乃至歴史科学に就いての科学論的反省は、叙述そのものにとっての日常不可欠な要点をなすので、夙くから注目されている(愚管抄の昔からあるにはあるのだ)。
— ――緒論の部―一般的特色について―― 『最近日本の科学論』 青空文庫
だから、大僧正慈円などは『愚管抄』の中で、歴史を推進させる道理の存在をきつく主張したけれども、その道理が具体的事件の上に如何にはたらくものであるかを法則化して見せる社会史学のようなものは、何ら存していなかったのであるから、人々はただ何となき不安の中にあるのほかなかったのである。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
それに、頼朝存生中も、兼実や慈円やは、東西の外交に、惟れ努めた方だったから、この家筋の人々は鎌倉追討の御企てのおりは、警戒して敬遠されており、慈円などは『愚管抄』という歴史論を書いて、諷諫するという風であった。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
玉葉をはじめ、吉記、愚管抄、吾妻鏡、そのほかどうよせ集めてみても、寿永二年七月の平家西走前後の記事など、ほとんど大同小異で、四、五十行の小記事があるにすぎないし、新しい発見などはなしえない。
— 吉川英治 『随筆 新平家』 青空文庫
それと平安朝随筆の著聞集、今昔、愚管抄なんか。
— 吉川英治 『随筆 新平家』 青空文庫
ウィキペディア
『愚管抄』(ぐかんしょう)は、鎌倉時代初期の史論書。作者は天台宗僧侶の慈円。全7巻。承久の乱の直前、朝廷と幕府の緊張が高まった時期の承久2年(1220年)頃成立したが、乱後に修訂が加えられている。北畠親房の『神皇正統記』と双璧を為す、中世日本で最も重要な歴史書と評される。愚管とは私見の謙譲語。
出典: 愚管抄 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0