天徳
てんとく
名詞
標準
Tentoku era (957.10.27-961.2.16)
文例 · 用例
将門死して二十一年の村上天皇天徳四年に、右大将藤原朝臣が奏して云はく、近日人が将門に魘えたかといふことが窺知られる。
— 幸田露伴 『平将門』 青空文庫
幸村の首級と太刀とは、後に兄の伊豆守信幸に賜ったので、信幸は二男内記をして首級は高野山天徳院に葬らしめ、太刀は、自ら取って、真田家の家宝としたと言う。
— 菊池寛 『真田幸村』 青空文庫
それから、伊勢貞丈、武士、厩の神を知りたる人少なしとて、『諸社根元記』と『扶桑略記』より延喜天徳頃|左右馬寮に坐せし、生馬の神、保馬の神を挙げ、『書紀』の保食神牛馬を生じたるよりこの二神号を帯びたのだろといった(『あふひづくり』上)、この二神は猴でなかろう。
— 猴に関する伝説 『十二支考』 青空文庫
此年八月十三日に静岡にある柏軒の子|孫祐が九歳にして夭し、翌十四日に大在家村天徳院に葬られた。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
後諸州を周歴し、佐野天徳寺、結城政勝、祐願寺等に兵を学んだが、さらに上泉伊勢守に就いて神蔭流の極意をきわめ、一流を編み出して卜伝流と云った。
— 国枝史郎 『神州纐纈城』 青空文庫
天徳寺に之を葬った。
— 江見水蔭 『怪異黒姫おろし』 青空文庫
天徳四年内裡歌合の、八番右の兼盛の、ひとへづゝ八重山吹はひらけなむほどへて匂ふはなとたのまむとある歌、判の詞に、「右歌、八重山吹のひとへづゝひらけむは、ひとへなる山吹にてこそはあらめ。
— 折口信夫 『和歌批判の範疇』 青空文庫
天徳四年内裡歌合せは、女房歌合せと称せられたものである。
— 後期王朝文学史 『女房文学から隠者文学へ』 青空文庫
作例 · 標準
村上天皇の時代の天徳四年には、有名な「天徳内裏歌合」が開催された。
幻辭AI · gemini-3-flash-preview
古いお寺の記録を調べていると、天徳年間に建立されたという記述を見つけた。
幻辭AI · gemini-3-flash-preview
天徳という年号は、約四年間という短い期間しか使われなかった。
幻辭AI · gemini-3-flash-preview