親睹
しんと
名詞
標準
文例 · 用例
為めに私は初めて野生梅の実景を親睹し、ここに年来の宿望を果し得たのは全く右山本氏の芳情のお蔭げで、深く同氏に感謝して止まぬ次第である。
— 牧野富太郎 『植物記』 青空文庫
所が支那では度量衡の規定など親覩した所である。
— 桑原隲蔵 『支那人の妥協性と猜疑心』 青空文庫
大師の時代には、まだ天寶の盛時を親覩した故老も多く存せしなるべく、且つは長安への往還に必經の道筋に當れば、大師もここでは定めし徘徊顧望されたことであらう。
— 桑原隲蔵 『大師の入唐』 青空文庫
高野山建設の模造碑は、私は未だ親覩の機を得ぬが、寫眞で觀た所では、原碑と隨分相違して居る樣に思ふ。
— 桑原隲蔵 『大師の入唐』 青空文庫
南宋の光宗の紹煕三年(西暦一一九二)父の岳霖が廣州の知事として赴任した時、彼もその地に同行して、廣州滯在の蒲姓とも親しく往來し、その親覩した所を『※史』の中に記載して居る。
— 桑原隲藏 『蒲壽庚の事蹟』 青空文庫
當時支那在留の宣教師の中で、トリゴオルト(Nicholas Trigault 金尼閣)を除けば、尤も早く景教碑の實物を親覩した人であるから信用も厚く、從つて歐米の學界では、景教碑出土の状況に關しては、セメドの記事が權威と認められて、これに異議を挾む者が尠い。
— 桑原隲藏 『大秦景教流行中國碑に就いて』 青空文庫
(第四) 景教碑を尤も早く親覩した張※の出土を傳へて居らぬ。
— 桑原隲藏 『大秦景教流行中國碑に就いて』 青空文庫
セメドは西暦千六百二十八年に、西安で景教碑を親覩した後ち、千六百三十七年に、澳門から一旦歐洲に歸り、千六百四十年にポルトガルに到着した。
— 桑原隲藏 『大秦景教流行中國碑に就いて』 青空文庫