立后
りっこう
名詞
標準
文例 · 用例
「中宮がはなやかな儀式で立后後の宮中入りをなすったこの際に、女御が同じ御所でめいった気持ちで暮らしているかと思うと私はたまらないから、退出させて気楽に家で遊ばせてやりたい。
— 乙女 『源氏物語』 青空文庫
長屋王の自尽は讒言に由ると伝えられるが、若しこの王在世ならば、光明子立后の事もなかったであろうと言わるるところからみても、長屋王の変の背後に介在する魔手は想像がつく。
— 亀井勝一郎 『大和古寺風物誌』 青空文庫
長屋王の変の後、光明子立后のことが行われたのは天平元年である。
— 亀井勝一郎 『大和古寺風物誌』 青空文庫
しばらくは、皇太子との浮名沙汰など姦しく、他所に隠されておいでだったが、やがて年経て、はからずも尊治が万乗の君となられたので、禧子にも女御入内の宣旨がくだり、またほどなく立后の儀も挙げられて、いまはただしく今上後醍醐の皇后と仰がれる御方とはなっている。
— あしかが帖 『私本太平記』 青空文庫
北山殿、すなわち、西園寺ノ大納言公宗の存在は、今でこそ時流の外にうすれているが、家柄は七|清華の一、代々、立后の姫ぎみも出し、官は太政大臣をいくたびも経、いわば人臣の栄をきわめてきた子孫なのである。
— 建武らくがき帖 『私本太平記』 青空文庫
生むところの近衛帝を立てるために、崇徳天皇の退位を余儀なくさせ、後また、近衛の立后問題では、左大臣頼長と摂政|忠通との、深刻な争いを助成し、ついに、保元の乱の陰因をなした。
— 吉川英治 『随筆 新平家』 青空文庫
上皇院政の積弊や、皇室をめぐる貴族対貴族の、立后の競争や、女院のかげに秘謀を思う官僚など、保元の因は、一様ではありませんが、中にも、乱後、讃岐へ流されて、配所で憤死された新院崇徳上皇などは、凡下乞食のちまたにも見られない悲惨な御末路と申すしかありません。
— 吉川英治 『随筆 新平家』 青空文庫
立后はべつであるが、尚侍に叙せられ、お添い臥しはかなうのである。
— 吉川英治 『美しい日本の歴史』 青空文庫
ウィキペディア
立后(りっこう、りつごう)とは、天皇または皇帝が皇后を立てることである。
出典: 立后 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0