続日本後紀
しょくにほんこうき
名詞
標準
Shoku Nihon Kōki (fourth of the six classical Japanese history texts)
文例 · 用例
この事は「続日本後紀」の巻十六に見えておる。
— 穂積陳重 『法窓夜話』 青空文庫
又遥かに遅れて、興福寺僧の上つた歌(続日本後紀)の如きも、よごとを新形式に創作したと言ふだけのものであつた。
— 唱導的方面を中心として 『国文学の発生(第四稿)』 青空文庫
草も 木も 栄ゆる時に、出でゝ舞ひてむ(続日本後紀)と詠じた舞は、此交叉時にあつたものと思ひます。
— 折口信夫 『翁の発生』 青空文庫
『続日本後紀』承和六年九月の条に、 制す。
— 喜田貞吉 『武士を夷ということの考』 青空文庫
中について島の地は、鴨の川原と共にその以前からも庶民の墓地であったと見えて、仁明天皇承和九年十月に、「左右京職・東西悲田に勅し、並びに料物を給して、島田及び鴨河原等の髑髏総べて五千五百余頭を焼かしむ」との事が「続日本後紀」に見えている。
— 喜田貞吉 『エタ源流考』 青空文庫
一世紀の後、空海の時代もすでに去って藤原氏専権時代がまさに始まろうとしたころに(嘉祥二年、続日本後紀、巻十九)、興福寺の法師が仁明天皇の宝算四十を賀した種々の催しをやった。
— 和辻哲郎 『日本精神史研究』 青空文庫
続日本後紀 仁明天皇紀に、超老人が舞を奏したことを記録してある。
— 川田順 『枕物狂』 青空文庫
『万葉集』は巻十六に歌が一首出ていて、そこに「肥前国|松浦県美禰良久崎」とあり、また『続日本後紀』の承和四年の記録にも、多分この地のことだろうと思われる松浦郡の旻楽の崎という地名がある。
— 柳田国男 『海上の道』 青空文庫
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『続日本後紀』(しょくにほんこうき)は、日本の平安時代に成立された歴史書。六国史の第四にあたり、仁明天皇の代である天長10年(833年)から嘉祥3年(850年)までの18年間を扱う。文徳天皇の勅命により斉衡2年(855年)に編纂が開始され、貞観11年(869年)に完成した。天皇の動静の記録を詳述し、天皇親政から摂関政治へうつる時代の根本史料である。編年体全二十巻からなる。
出典: 続日本後紀 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0