従四位
じゅしい
名詞
標準
文例 · 用例
尋で使を肥前名護屋に遣はし、秀吉の陣を犒ひ、三年正月には従四位下右京大夫となり、慶長五年関ヶ原の役には、兵を出して徳川家康の軍に従ひ、西上して大垣に戦ひ、上野国大館二千石を加増す。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
小地たりとも美濃八幡二万四千石、従四位下を賜わる遠藤主計頭じゃ。
— 幽霊を買った退屈男 『旗本退屈男 第十話』 青空文庫
五年十二月には南部家と共に永く東西蝦夷地を警衛することを命ぜられて、十万石に進み、従四位|下に叙せられた。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
七年三月二十八日には十一歳で元服して、従四位|上侍従参河守斉民となった。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
そうして見ると、この人が鬼になって五百に捉えられたのは、従四位上侍従になってから後で、ただ少将であったか、なかったかが疑問である。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
官位は従四位侍従になっていた。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
量長は長近より五代目に当る公義の子で、文化九年十二月十三日誕生、文政八年三月廿八日十四歳を以て元服、越後|権介に任じ、同日院昇殿を聴され、その後|弾正少弼を経て修理大夫に至り、位は天保十三年十二月廿二日従四位上に叙せられたことまでは、地下家伝によつて知ることが出来る。
— 森鴎外 『津下四郎左衛門』 青空文庫
嫡子六丸は六年前に元服して将軍家から光の字を賜わり、光貞と名のって、従四位下|侍従兼|肥後守にせられている。
— 森鴎外 『阿部一族』 青空文庫