集解
しゅうげ
名詞
標準
文例 · 用例
『本草集解』に、松脂を掠め沙泥に曳き、身に塗りて以て矢を禦ぐというこれなり。
— 猪に関する民俗と伝説 『十二支考』 青空文庫
應神紀五年船を造りて枯野と名づけたる條の細注、及び二十二年、「兄媛者吉備臣祖御友別之妹也」といへる細注は、書記集解に古本に無し、私記入なりと見るべき根據なし。
— 内藤湖南 『卑彌呼考』 青空文庫
別雷神の纛の神(令集解)と言ふ、山城紀伊郡|真幡寸神社などが、此である。
— 折口信夫 『幣束から旗さし物へ』 青空文庫
此記事は普通「書紀集解」以来、日本紀の準備作業であつた様に解してゐる。
— 折口信夫 『日本書と日本紀と』 青空文庫
だから霊魂の怒りについて、尚此天皇の関聯を説く伝へが、令集解「葬喪令」の遊部の項の古註にも見えるのである。
— 折口信夫 『日本文学の発生』 青空文庫
(令集解――喪葬令)遊部、後代多く、あそぶとばかり謂つてゐるやうだ。
— 折口信夫 『和歌の発生と諸芸術との関係』 青空文庫
唯、遊部に関した令集解の解説が、かうした目的に近い色々な点を包含してゐるので、説明の便宜の為にとりあげたに過ぎないのである。
— 折口信夫 『和歌の発生と諸芸術との関係』 青空文庫
同時に唐の司馬貞の『史記索隱』に、西晉の張華の『博物志』を引いて、太史公自序の元封三年(西暦前一〇八)に、司馬遷が太史令となつた時の註に、博物志、太史令、茂陵、顯武里、大夫、司馬〔遷〕――同治九年に金陵書局で刊行した『史記集解索隱正義合刻本』には、司馬遷年二十八と明記してある――年二十八。
— 桑原隲藏 『司馬遷の生年に關する一新説』 青空文庫