御宇
ぎょう
名詞
標準
Imperial reign
文例 · 用例
二 次に推古天皇様の御宇十五年に、隋と交通し、はじめてわが国から遣隋使として小野妹子をつかわし、聖徳太子様御自らお認めあそばされた国書を隋の煬帝に遣わされたが、その堂々たる大文章はわが国威を宣揚したものとして殆ど古今に比類無いほど立派なものであった。
— 国枝史郎 『日本上古の硬外交』 青空文庫
こういう出来事のあったのは西暦九六二年で、わが朝の村上天皇の御宇に当っている。
— 国枝史郎 『ローマ法王と外交』 青空文庫
箱の中1・26サンデー毎日 人皇百十二代霊元天皇の御宇の時のことだつた。
— 昭和五(一九三〇)年 『茶話』 青空文庫
が、古い処と言えば、第九回の文展に出した「花がたみ」は謡曲|花筐に取材したもので、時代は継体天皇の御宇と記憶しますから、随分古い方ではある。
— ――喜久子姫御用の「春秋屏風」その他―― 『画道と女性』 青空文庫
さて雛壇には内裏雛、五人囃、官女のたぐい賑やかに、人形天皇の御宇の盛りいともめでたく、女は生れてそもそもの弥生からかくして家を形づくること学ぶなるべし。
— 柴田流星 『残されたる江戸』 青空文庫
もしそれ三社様に至っては、浜成、武成の兄弟と仲知とが遠く推古帝の御宇、一日宮戸川に網して一寸八分の黄金仏(観世音菩薩)を得たという詩のような伝説、吾儕は敢えて彼これその詮索をなすを欲せず、かばかりにロマンティックな語りぐさをいつまでも保全して、徒なる解釈をこれに試みたくないと思う。
— 柴田流星 『残されたる江戸』 青空文庫
欽明天皇御宇のことである。
— 国枝史郎 『神州纐纈城』 青空文庫
速津媛ノ事ハ、豐後國風土記速見郡ノ條ニモ「昔者纒向日代宮御宇天皇、欲誅玖磨贈、幸於筑紫、從周防國佐婆津發船而渡、泊於海部郡宮浦時、於此村有女人、曰速津媛、爲其處之長、即聞天皇行幸、親自奉迎云々、因斯名曰速津媛國、後人改曰速見郡」トアリ。
— 白鳥庫吉 『倭女王卑彌呼考』 青空文庫