永暦
えいりゃく
名詞
標準
Eiryaku era (1160.1.10-1161.9.4)
文例 · 用例
{明永明王永暦元年(西暦一六四七)}四川大飢。
— 桑原隲藏 『支那人間に於ける食人肉の風習』 青空文庫
文覚の荒行 清盛のいうように頼朝はさる平治元年十二月、父|左馬頭義朝の謀叛によって殺される運命にあったが、池禅尼の必死の嘆願で死を免れ、十四歳のとき、永暦元年三月二十日、伊豆国|北条蛭が小島に流されたものである。
— 第五巻 『現代語訳 平家物語』 青空文庫
二条天皇(永暦帝)は、太后が美人であつたので、彼女を宮中に迎え入れようと望んだ。
— 誰が日本民族の主人であるか 『天皇』 青空文庫
――いや改元して、この正月からは、永暦元年ということに、年号まで革まった。
— 吉川英治 『源頼朝』 青空文庫
……その年、ひとりの遺子は、生れてまだ五十余日と聞いていたが、さては、その折の嬰児が、お汝であったか」「永暦元年の二月、私が二歳の春、この下総国へ流されて来ましたが……常胤様のお情けによって、密かに、きょうまで養われて参りました。
— 吉川英治 『源頼朝』 青空文庫
清盛二十歳の保延三年に起筆して、清盛四十三歳の、平治二年(永暦ト改元サル)の春まで書いたわけです。
— 吉川英治 『随筆 新平家』 青空文庫
(二六・四・一) *〔時代〕平治二年(永暦ト改元)の春、今より約七百九十年前。
— 吉川英治 『随筆 新平家』 青空文庫
保元、平治の大乱も終熄して、永暦元年と変った春から秋への世相の表裏にも、じつにそれが顕著で、あるいは、てんやわんやの一時代であったというもよろしいでしょう。
— 吉川英治 『随筆 新平家』 青空文庫
作例 · 標準
永暦年間には、源平合戦の萌芽が見られた。
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この記録は、永暦という短い期間の出来事を詳細に伝えている。
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平治の乱の後、永暦という元号が定められた。
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永暦の時代背景を理解することは、当時の政治状況を知る上で重要だ。
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