建武の新政
けんむのしんせい
表現名詞
標準
Kenmu Restoration (1333-1336)
文例 · 用例
十代に出家され、十八歳で天台|座主に就かれたが、翌年北条追討のことがおこり、捕えられて讃岐へ移されたが、建武の新政のとき、再び都に帰られ、また天台座主にのぼられた。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
――ところが、建武の新政府にもその裏打ちは何もない。
— 建武らくがき帖 『私本太平記』 青空文庫
作例 · 標準
建武の新政は、天皇親政を目指したが短命に終わった。
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歴史の教科書で建武の新政の失敗について学んだ。
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「ねえ、建武の新政ってどんな内容だったの?」
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ウィキペディア
建武の新政(けんむのしんせい)は、1333年7月4日(元弘3年/正慶2年5月22日)に、元弘の乱で鎌倉幕府を打倒した後醍醐天皇が、7月17日(和暦6月5日)に「親政」(天皇が自ら行う政治)を開始したことにより成立した建武政権(けんむせいけん)の新政策(「新政」)。建武の中興(けんむのちゅうこう)とも表現される。広義の南北朝時代には含まれるが、広義の室町時代には含まれない。新政の名は、翌年の元弘4年=建武元年(1334年)に定められた「建武」の元号に由来する。
出典: 建武の新政 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0