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応仁の乱

おうにんのらん
表現名詞
1
標準
Ōnin War (1467-1477)
文例 · 用例
応仁の乱は細川勝元、山名宗全の両頭目の死によって一時、中央では小康を得たようなものの、戦禍はかえって四方へ撒き散された形となって、今度は地方地方で小競合いが始まりました。
岡本かの子 鯉魚 青空文庫
応仁の乱の時、斯波家も両方に分れたとき、朝倉は宗家の義廉に叛いた治郎|大輔義敏にくっついた。
菊池寛 姉川合戦 青空文庫
『読史余論』の著者新井白石が、そのなかで信長成功の理由を色々挙げたうちに、応仁の乱後の人戦闘を好みて民力日々に疲れ、国財日々乏しかりしに備後守信秀|沃饒の地に拠つて富強の術を行ひ耕戦を事とし兵財共に豊なりしに、信長其業をつぎ、英雄の士を得て百戦の功をたつ。
菊池寛 桶狭間合戦 青空文庫
その意味で序幕の応仁の乱も、意義があると云うべきである。
菊池寛 応仁の乱 青空文庫
応仁の乱の責任者として、古来最も指弾されて居るのは、将軍義政で、秕政と驕奢が、その起因をなしたと云われる。
菊池寛 応仁の乱 青空文庫
故に表面的な驕奢と秕政の故に、義政を以て応仁の乱の責任者であると断ずるは、あたらない。
菊池寛 応仁の乱 青空文庫
こんな全く無政府的な世相に口火を切って、応仁の乱を捲き起したのが、実に細川山名二氏の勢力争いである。
菊池寛 応仁の乱 青空文庫
『塵塚物語』と云う古い本に、応仁の乱の頃、山名宗全が或る大臣家に参伺し、乱世の民の苦しみに就て、互に物語ったとある。
菊池寛 応仁の乱 青空文庫
作例 · 標準
例句
ウィキペディア

応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代中期の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年に及んで継続した日本の内乱。発生時の元号から一般に「応仁の乱」と呼ばれるが、戦が続いたことにより、応仁は僅か3年で文明へと改元されたため、「応仁・文明の乱(おうにん・ぶんめいのらん)」と称されることもある。

出典: 応仁の乱 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0