側用人
そばようにん
名詞
標準
文例 · 用例
当屋敷の側用人を勤めおります渡辺助右衛門の母めにおじゃります。
— 因縁の女夫雛 『右門捕物帖』 青空文庫
これを上ったものは用人加藤|清兵衛、側用人兼松伴大夫、目附兼松三郎である。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
即ち側用人加藤清兵衛、用人兼松|伴大夫は帰国の上隠居謹慎、兼松三郎は帰国の上|永の蟄居を命ぜられた。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
先代文内の嫡男|与四郎は、当時|順承の側用人になって、父の称を襲いでいた。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
武彦は前の側用人兼用人|清兵衛の子である。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
源吾は天保中津軽|信順がいまだ致仕せざる時、側用人を勤めていたが、旨に忤って永の暇になった。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
水戸老公|斉昭は側用人安島弥次郎に与ふる書に、「何を申も夷狄は迫り居り候へば、勢州は大切の人」と云ひ、福井侯|慶永も亦、「唯今彼人世を早ふせば、天下の勢も如何に変り行ならむか、公私につき憂はしき事の限にぞある」と云つたことが、用人中根|靱負の記に見えてゐる。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
兄弟の家は、八百石を取って、側用人を務むる家柄であった。
— 菊池寛 『仇討三態』 青空文庫
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側用人(そばようにん)は、江戸時代において、江戸幕府および諸藩に置かれた役職。
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