王畿
おうき
名詞
標準
文例 · 用例
又當時七萬餘戸を有する程の大國は、之を邊陲の筑紫に求めんよりも、之を王畿の大和に求めん方穩當なるに似たり。
— 内藤湖南 『卑彌呼考』 青空文庫
二には次有某國云々といへる國名の排列が大和の王畿附近、特に伊勢を起點として、次を逐て最後に及べるに、從郡至倭云々といへる國名の排列は、之と全く反對の排列を爲せるに由る。
— 内藤湖南 『卑彌呼考』 青空文庫
五、結論 已上の各章に於て、魏書倭人傳の 邪馬臺とは大和朝廷の王畿なるべきこと 女王卑彌呼とは倭姫命なることは粗ぼ論じ盡せり。
— 内藤湖南 『卑彌呼考』 青空文庫
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王 畿 は、中国明代の儒学者。字は汝中、号は龍渓。紹興府山陰県(現在の浙江省紹興市越城区)の出身。
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