日本二十六聖人
にほんにじゅうろくせいじん
名詞
標準
Twenty-Six Martyrs of Japan
文例 · 用例
ヤコボ喜左衛門聖人といったら日本二十六聖人のひとり、慶長二年二月五日この長崎の西坂で殉教したお方だ。
— 永井隆 『この子を残して』 青空文庫
文久二年、ローマのペトロ大聖堂で、公式の日本二十六聖人の祝祭が行なわれ、毎年二月五日、世界の教会がこの祭りをするようにとの教皇の詔が出た。
— 永井隆 『この子を残して』 青空文庫
雪責め 慶長二年二月五日長崎立山にて十字架上に、やりを受けた日本二十六聖人をはじめとして、近くはこの終戦まぎわまで迫害を受けて殉教したキリシタンは数限りありませぬが、最近における最も大きな迫害は明治初年における浦上信徒総流罪でありました。
— 永井隆 『ロザリオの鎖』 青空文庫
作例 · 標準
長崎の日本二十六聖人記念館では、殉教の歴史について学ぶことができます。
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彼らの信仰心は、日本二十六聖人として今も語り継がれています。
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「あら、日本二十六聖人って、昔、長崎で殉教された方々のことなんだ。」
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ウィキペディア
日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)は、1597年2月5日(慶長元年12月19日)豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」というが、西洋諸国では「聖パウロ三木と仲間たち」とも呼ばれる。26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。カトリック典礼上の記念日は2月5日である(なお、西洋では2月6日)。キリシタンの迫害は徳川氏(江戸幕府)にも引き継がれ、後年に京都の大殉教や元和の大殉教が引き起こされている。