軍忠
ぐんちゅう
名詞
標準
文例 · 用例
佐野佐衛門氏綱の軍忠状に依ると、合戦の日の五日の日にまで、敵には続々馳せ参ずる兵があったと云う。
— 菊池寛 『四条畷の戦』 青空文庫
越えて翌月の五日に城攻めに加わった諸侯が、京の二条城に群参した時に、家康は忠直卿の手を取りながら、「御身が父、秀康世にありしほどは、よく我に忠孝を尽くしてくれたるわ、汝はまたこのたび諸軍に優れし軍忠を現したること、満足の至りじゃ。
— 菊池寛 『忠直卿行状記』 青空文庫
ところが、大将軍忠文を初め、副将国幹にも、全軍の将士にも、将門にたいして、どれ程な自信と意気があったか、甚だ疑わしい。
— 吉川英治 『平の将門』 青空文庫
――こんなわけなので、征夷大将軍忠文自身が、足柄ノ関へかかるのさえ、容易でなかった。
— 吉川英治 『平の将門』 青空文庫
× × ここで、乱後、おかしなことは、征夷大将軍忠文の、凱旋ぶりと、論功行賞などの取沙汰である。
— 吉川英治 『平の将門』 青空文庫
石川氏の一族に石川草里四郎次郎のあったことは建武四年の軍忠状に見えるというから古い地名である。
— 柳田國男 『地名の研究』 青空文庫
というようなわけで、ここでもまた、阿蘇家、相馬家の軍忠状とか、古文書の断片とか、古典太平記よりはややましな梅松論などの傍証を綜合して書いてゆくしかないことになる。
— 風花帖 『私本太平記』 青空文庫
「天野|経顕の軍忠状」に見ても、正月元日より十一日迄連日の合戦警固毎日高矢櫓にありて軍忠に抽んづ とあり、いかに肉薄戦がむずかしく、遠矢合戦に暮れていたかがわかる。
— 風花帖 『私本太平記』 青空文庫