安政の大獄
あんせいのたいごく
名詞
標準
Ansei Purge (1858-1860)
文例 · 用例
井伊|直弼が安政の大獄で狂気じみたテロリズムを行つたのも、この勤皇思想の中核水戸学の総主たる斉昭を押へる為めだつたのだ。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
そして又、梅田|雲浜、吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎を始め多くの勤皇家が惨殺された安政の大獄*や、その報復としての桜田門外の井伊大老襲殺の壮挙があつて、軈て薩長の聯合は終に倒幕の実現となつたのである。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
安政の大獄は、安政五年九月から志士の逮捕を始め、六年十二月に一段落をつげた。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
安政の大獄をはじめとして、大小各藩において、当路と政見を異にしたがために、斬に処し、もしくは死をたまわった者は、かぞえるにたえぬではないか。
— 幸徳秋水 『死刑の前』 青空文庫
これにたいする安政の大獄、翌年大獄始末を終えたか終えぬに桜田門の変、やがて水戸斉昭その人も死んで、雄藩ブロックは充分に独自化した。
— 服部之総 『尊攘戦略史』 青空文庫
何となればその五月二十五日は、則ち彼が安政の大獄に羅織せられて東上したるの日なればなり。
— 徳富蘇峰 『吉田松陰』 青空文庫
第十六 最後 井伊直弼は、密勅の水戸に降りしを奇貨とし、これを中心として、その打撃を始めたり、史家称して安政の大獄という。
— 徳富蘇峰 『吉田松陰』 青空文庫
そこで幕府は、大小目付三奉行の五手|掛りのお役かえを断行して、野火をあおるように一挙に安政の大獄に取りかかる。
— 林不忘 『つづれ烏羽玉』 青空文庫
作例 · 標準
私は毎日安政の大獄について考えている。
安政の大獄という言葉は日本語で重要だ。
彼は安政の大獄の意味を理解している。
この文には安政の大獄が含まれている。
ウィキペディア
安政の大獄(あんせいのたいごく)は、安政5年(1858年)から安政6年(1859年)にかけて江戸幕府が行った弾圧。当時は「飯泉喜内初筆一件」または「戊午の大獄(つちのえうまのたいごく、ぼごのたいごく)」とも呼ばれていた。
出典: 安政の大獄 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0