浙西
浙西
名詞
標準
文例 · 用例
小奴 天祐丙子の年、浙西の軍士|周交が乱をおこして、大将の秦進忠をはじめ、張胤ら十数人を殺しました。
— 稽神録 『中国怪奇小説集』 青空文庫
秋壑はまたある時、浙西に於て公田の法を行うたが、人民がその悪法に苦しんだので路傍へそれを謗った詩を題した者があった。
— 田中貢太郎 『緑衣人伝』 青空文庫
當時學者として認められたのは、黄宗羲(浙江餘姚)と顧炎武(江蘇昆山)とであつて、前者は浙東學派の祖とされ、後者は浙西學派の祖とされる。
— ――史記より清初まで―― 『支那史學史概要』 青空文庫
彼は直接に顧炎武の學を傳へては居らぬが、徐乾學と顧炎武との關係より、この地に集まつた人は浙西派の人たちで、これは多く經學となつたが、しかし目的が地理の編纂であつたので、中には顧祖禹などがあり、讀史方輿紀要を作つた。
— ――史記より清初まで―― 『支那史學史概要』 青空文庫
唐時代に浙西の觀察使となつた李景讓は、部下の將校を虐待したといふので、部下の軍隊の感情を害し、部下が一致して之に反抗し、將に一大事變が突發せんとした。
— 桑原隲藏 『支那の孝道殊に法律上より觀たる支那の孝道』 青空文庫