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院派

いんぱ
名詞
1
標準
文例 · 用例
さういう商売人の一人が、美術院派の富田渓仙氏に、久しい前から一枚絵を頼んでおいたが、幾度催促しても一向出来ないので、とうと業を煮やして、この画かきの許を訪ねて往つた。
大正八(一九一九)年 茶話 青空文庫
三番目の『夏草』は以前の美術院派の方々に御願をしたが、主に下村観山さんが担当して呉れた。
『春』と『家』及び其他 装釘に就て 青空文庫
眉山の容貌、風采、及び生活は洋画は勿論院派の日本画にもならないので、五渡亭国貞あたりの錦絵から抜け出したようだった。
――尾崎紅葉―― 硯友社の勃興と道程 青空文庫
衆議院では、延期法案の議事は十二月十五、十六の両日にわたったが、延期派の英法学者では元田肇君、岡山|兼吉君、大谷|木備一郎君等の法学院派、その他関|直彦君、末松|謙澄君等が発議者の重なる者であった。
穂積陳重 法窓夜話 青空文庫
明治二十五年の春に至って、江木衷、奥田|義人、土方寧、岡村輝彦、穂積|八束の諸博士を始め、松野貞一郎君、伊藤|悌次君、中橋徳五郎君等法学院派の法律家十一名の名をもって「法典実施延期意見」なるものが発表せられた。
穂積陳重 法窓夜話 青空文庫
ある日、興宗といふ畫家が――美術院派の畫家で、有名な「落葉」の屏風を殘した今村紫紅の兄さん――いつものやうに父とお酒を飮みながら――興宗は大酒で、父とは年齡が違ふが、うまがあふので、ちよくちよく來てはお酒びたりになつてゐた――何時かはなしが「郭子儀」の幅のことになつて、もしかするとそれは楓湖でせう。
長谷川時雨 「郭子儀」異變 青空文庫
都を出た南朝には二条の伝統はあつても、師範家は京に止つて、京極家を失うて後の持明院派を新しい大檀那と憑んでゐた。
万葉集以後の歌風の見わたし 短歌本質成立の時代 青空文庫
此時代に入る少し前、持明院派では、京極為兼を迎へ用ゐられた。
万葉集以後の歌風の見わたし 短歌本質成立の時代 青空文庫
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院派(いんぱ)は、平安時代後期から室町時代の仏師の一派。七条大宮仏所、六条万里小路仏所を形成し、足利将軍家の仏師となった。祖は、定朝の孫とされる院助。

出典: 院派 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0