貞応
じょうおう
名詞
標準
Jōō era (1222.4.13-1224.11.20)
文例 · 用例
其の後元祖|藤四郎という人がヘーシを発明致したは貞応の二年、開山|道元に従い、唐土へ渡って覚えて来て焼き始めたのでございましょうが、これが古瀬戸と申すもので、安貞元年に帰朝致し、人にも其の焼法を教えたという。
— 三遊亭圓朝 『菊模様皿山奇談』 青空文庫
貞応三年六月十六日八十三歳の高齢をもって念仏相続して禅定に入るが如く往生せられた。
— 中里介山 『法然行伝』 青空文庫
四十二 法然が亡くなってから、順徳院の建保年間、後堀川院の貞応嘉禄年間、四条院の天福延応年間などたびたび一向専修の宗旨を停止の勅命を下されたけれども、厳制すたれ易く興行止まりがたく、念仏の声は愈々四海に溢れた。
— 中里介山 『法然行伝』 青空文庫
……「波木井殿御書」には、日蓮は日本国人王八十五代後堀河院御宇、貞応元年壬午、安房国長狭郡東条郷の生なり。
— 日蓮聖人はエタの子なりという事 『旃陀羅考』 青空文庫
後チ世嗣相続キ、一ノ石太郎、二郎、三郎、松冠者、宮太郎、太郎冠者及ビ檜枝又三郎ノ七世、康平ヨリ貞応マデ凡ソ百六十年間ノ居城タリ。
— 木暮理太郎 『尾瀬の昔と今』 青空文庫
宗祇は先ず不立不断のこと、貞応本のこと、為世と為兼との六問答のことなどからして説き起こした。
— 原勝郎 『東山時代における一縉紳の生活』 青空文庫
覚海伝には、此の時(承久元年八月五日)三千の衆徒が大秘伝法の絶滅を悲しみ山を下ろうとしたのを、上人が強いておしとどめ、自分が炎魔の庁へ行って訴えるからもう一日待てと云ったと記してあって、示寂したのはそれより更に六年の後、貞応二年癸未八月十七日春秋八十二歳の時ということになっている。
— 谷崎潤一郎 『覚海上人天狗になる事』 青空文庫
彼自身は承久乱の年は六十歳で、その翌|貞応元年従二位に昇ってから、六十六で正二位、七十一歳で権中納言に就き、七十二歳で出家、仁治二年八月、八十歳を以て薨去した。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
作例 · 標準
**貞応**年間の出来事について、歴史書を紐解いてみた。
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鎌倉幕府の**貞応**の変は、権力闘争の激しさを示している。
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「**貞応**って、どのくらいの期間だったっけ?ちょっと調べてみる。」
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貞応(じょうおう、 は、日本の元号の一つ。承久の後、元仁の前。1222年から1224年までの期間を指す。この時代の天皇は後堀河天皇。鎌倉幕府将軍は空位、執権は北条義時、泰時。
出典: 貞応 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0