応仁
おうにん
名詞
標準
Ōnin era (1467.3.5-1469.4.28)
文例 · 用例
応仁の乱は細川勝元、山名宗全の両頭目の死によって一時、中央では小康を得たようなものの、戦禍はかえって四方へ撒き散された形となって、今度は地方地方で小競合いが始まりました。
— 岡本かの子 『鯉魚』 青空文庫
彼の応仁の大乱は人も知る通り細川|勝元と山名宗全とが天下を半分ずつに分けて取って争ったから起ったのだが、その勝元の子が即ち政元だ。
— 幸田露伴 『魔法修行者』 青空文庫
応仁、文明、長享、延徳を歴て、今は明応の二年十二月の初である。
— 幸田露伴 『雪たたき』 青空文庫
安富は細川の家では大したもので、応仁の恐ろしい大乱の時、敵の山名方の幾頭かの勇将軍が必死になって目ざして打取って辛くも悦んだのは安富之綱であった。
— 幸田露伴 『雪たたき』 青空文庫
」「反りかえった同士が西と東とに立分れ、反りかえらぬ同士が西にかたまり、東にかたまり、そして応仁の馬鹿戦が起ったかナ。
— 幸田露伴 『雪たたき』 青空文庫
宇治の渡し一 お小さな応仁天皇も、そのうちにすっかりご成人になって、大和の明の宮で、ご自身に政をお聞きになりました。
— 鈴木三重吉 『古事記物語』 青空文庫
応仁の乱の時、斯波家も両方に分れたとき、朝倉は宗家の義廉に叛いた治郎|大輔義敏にくっついた。
— 菊池寛 『姉川合戦』 青空文庫
『読史余論』の著者新井白石が、そのなかで信長成功の理由を色々挙げたうちに、応仁の乱後の人戦闘を好みて民力日々に疲れ、国財日々乏しかりしに備後守信秀|沃饒の地に拠つて富強の術を行ひ耕戦を事とし兵財共に豊なりしに、信長其業をつぎ、英雄の士を得て百戦の功をたつ。
— 菊池寛 『桶狭間合戦』 青空文庫
作例 · 標準
例句