建礼
けんれい
名詞
標準
文例 · 用例
たとえば、第八十代の天皇|高倉は、平家が入れた建礼門院徳子が生んだ三歳の乳児に、その位をゆずっている。
— 誰が日本民族の主人であるか 『天皇』 青空文庫
そこで、この上はと、畏れ多くも建礼門院が手に、まだお幼い主上を抱きまいらせて、ご同輿の出御を仰ぎ、内大臣宗盛|父子や平大納言時忠など、重なる人々は衣冠、そのほか、武臣はもとより、公卿殿上人から端仕えの人々まで、すべて、弓矢|甲冑を帯し、きょう卯の刻、七条|朱雀を西へお供申して行ったのであった。
— 吉川英治 『源頼朝』 青空文庫
殊には、建礼門院をはじめ、婦人たちは一しお嘆く。
— 吉川英治 『源頼朝』 青空文庫
即ち、花山院左大臣の奥方、建礼門院といわれた安徳天皇の生母、六条摂政、藤原基実の奥方で白河殿と呼ばれた人、普賢寺藤原|基通夫人、冷泉大納言夫人、七条修理大夫夫人、今一人は、白河法皇の女御で、最後は、であった。
— 第一巻 『現代語訳 平家物語』 青空文庫
年も明けて、嘉応三年正月、無事に元服が済み、清盛の娘の徳子(後の建礼門院)が十五歳で女御になった。
— 第一巻 『現代語訳 平家物語』 青空文庫
能登殿の最後 建礼門院は、主上の御|入水を見届けると、今はこれまでと覚悟して、硯と温石を左右の懐に入れると、そのまま海に身を躍らせた。
— 第十一巻 『現代語訳 平家物語』 青空文庫
女院が女御の宣旨を受けられたのは十五歳の年で、翌年中宮となり、二十二歳で皇子を生み、皇子が即位されて安徳帝となられて以来は、院号を賜わり、建礼門院と称したのである。
— 灌頂の巻 『現代語訳 平家物語』 青空文庫
平大納言時忠は、今生のお別れに、建礼門院のいられる吉田を訪れた。
— 第十二巻 『現代語訳 平家物語』 青空文庫