応年
おうねん
名詞
標準
文例 · 用例
明応年中、近衛尚通の子政信、家を継ぐ。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
慶応年間に村で生れた親爺は、一生涯麦飯を食って、栄養不良になることも、早く年を取り、もうろくすることもかまわずに、たゞ、いくらかの土地を自分のものとし、財産を作って、子供に残してやろうと、そればかりを考えていた。
— 黒島傳治 『浮動する地価』 青空文庫
慶応年間に生れたものだけで内閣を作るから慶応内閣と云うんだそうである。
— 夏目漱石 『永日小品』 青空文庫
唐の宝応年中、李の家で親友を大勢よびあつめて、広間で飯を食うことになった。
— 宣室志(唐) 『中国怪奇小説集』 青空文庫
4 明応年間に木曽義元、小笠原氏と戦って、戦い勝利を得たるをもって、華表を建てて鳥居峠と呼ぶ。
— 国枝史郎 『剣侠』 青空文庫
西郷南洲翁が慶応年間、京都に集まった薩摩の勇士の挙動はなはだ不穏なりと聞き、これが鎮撫に取りかかったとき、日ごろ西郷に快からぬ人々が西郷の挙動をもって正反対の意味あるがごとくに言い放ち、西郷は名を浪士の鎮撫に藉るが、実はこれを煽動するものであると、島津久光公に告口した。
— 新渡戸稲造 『自警録』 青空文庫
四十二 法然が亡くなってから、順徳院の建保年間、後堀川院の貞応嘉禄年間、四条院の天福延応年間などたびたび一向専修の宗旨を停止の勅命を下されたけれども、厳制すたれ易く興行止まりがたく、念仏の声は愈々四海に溢れた。
— 中里介山 『法然行伝』 青空文庫
其ノ後慶応年間ニ至ツテ、松葉屋某ナル者|魁主トナリ、遂ニ旧府ノ許可ヲ禀クルヤ、同志|厠与ニ助ケテ以テ稍ク二三ノ楼ヲ営ム。
— 永井荷風 『上野』 青空文庫