広益
こうえき
名詞
標準
文例 · 用例
『広益俗説弁』二十に、俗説にいわく、馬角は宝なりという、今按ずるに、『史記』文帝十二年、〈馬あり角呉に生ず〉、漢『京房易伝』いわく、〈臣上を易りて政順わず、その妖馬角を生ず〉、『呂氏春秋』いわく、〈人君道を失い馬角を生ずるあり〉、これを以て見れば、宝とすべき物にはあらずと出づ。
— 馬に関する民俗と伝説 『十二支考』 青空文庫
『広益俗説弁』その他に、この事、『稗海』に、晋の趙固の馬、病みしを郭璞の勧めにより猴と馴れしめて癒えたとあるに基づくといえど、『梅村載筆』には猿を厩に維ぐは馬によしという事、『周礼註疏』にありと記す。
— 猴に関する伝説 『十二支考』 青空文庫
『広益俗説弁』三八に、俗説にいわく、菅丞相御歌に「鳥もなく鐘も聞えぬ里もがな、ふたりぬる夜の隠れがにせむ」。
— 鶏に関する伝説 『十二支考』 青空文庫
何故というに天保八年の春に梓行せられた『広益諸家人名録』は夙に詩人として枕山の名と住所とを掲げているからである。
— 永井荷風 『下谷叢話』 青空文庫
この日|倶に荷花を賞した宮沢竹堂は『広益江戸諸家人名録』に従えば奥州の人にして、名は胖、字は広甫、通称左仲、青山五十人町に住した詩人である。
— 永井荷風 『下谷叢話』 青空文庫
天保七年の『広益諸家人名録』に田辺藩牧野家の臣海賊橋に住すとしてある。
— 永井荷風 『下谷叢話』 青空文庫
舟橋晴潭は『広益諸家人名録』第二編に「下谷|御掃除町舟橋八三郎、名徴、字秋月、一号|豁如軒。
— 永井荷風 『下谷叢話』 青空文庫
わたくしは僅にその名を『広益諸家人名録』と『江戸文人寿命附』とに見たのみである。
— 永井荷風 『下谷叢話』 青空文庫