至道
しどう
名詞
標準
文例 · 用例
朝の読書はほんとうによい、碧巌第二則、至道無難、趙州和尚の唇皮禅に敬服する。
— 種田山頭火 『其中日記』 青空文庫
十代三右衞門、後の稱三左衞門は明治二十年二月二十六日に歿し、榮壽軒梵譽利貞至道居士と法諡せられた。
— 森鴎外 『壽阿彌の手紙』 青空文庫
前にもいえるごとく、至道は言語筆舌の必ず説き勧め喩し解せしめ得べきにあらず。
— 南方熊楠 『神社合祀に関する意見』 青空文庫
道術を修めるようになってから至道と云う号を用いていた。
— 田中貢太郎 『神仙河野久』 青空文庫
木村は河野と往復した書簡及びその直話を筆記して、「至道物語」と云う一篇の書を作ってこれを宮地翁に送って来た。
— 田中貢太郎 『神仙河野久』 青空文庫
至道は河野の道号であるのは云うまでもない。
— 田中貢太郎 『神仙河野久』 青空文庫
宮地翁は河野の書いた「真話」と木村知義の書いた「至道物語」を出して見せた。
— 田中貢太郎 『神仙河野久』 青空文庫
「茲に於て私の考えておりましたとおり至道の死去は、その実普通の死去でありませんので、前に申しました漢の李少君や、我国の白箸翁の類で、全く屍解の仙去であったことが明白になりました。
— 田中貢太郎 『神仙河野久』 青空文庫
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至道(しどう)は、北宋の太宗趙炅の治世に行われた5番目の年号。995年 - 997年。3年3月:太宗死去。真宗即位。
出典: 至道 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0