北周
ほくしゅう
名詞
標準
Northern Zhou dynasty (of China; 557-581)
文例 · 用例
殊に北朝の字の好くなつたのは北齊、北周以後であるが、これは梁の孝元帝の沒落の爲、南方の王羲之の字帖が北方に流れて入り、又王襃などが北周に南方の書を傳へたので、それが隋の頃に至つて大成して、南北を綜合したとも言ふべき立派な文字が出來たのであるが、實は南方の風を以て北派の猥陋なる書風を變化したのである。
— 内藤湖南 『北派の書論』 青空文庫
又隋書の志は元來は五代史志と云つたもので、北朝では北齊・北周・隋、南朝では梁・陳に亙り、それらを通じて編したので、通史の體に出來てゐるが、歴史全體を通史の體で書くことは絶えてゐた。
— ――史記より清初まで―― 『支那史學史概要』 青空文庫
南北朝の末に出た突厥の他鉢可汗は、但使我在南兩兒(北齊と北周)常孝。
— 桑原隲蔵 『支那人の文弱と保守』 青空文庫
南北朝の末に出た突厥の君主の他鉢可汗は、「但使我在南兩児(北齊と北周)常孝。
— 桑原隲蔵 『支那人の妥協性と猜疑心』 青空文庫
今日の長城は、秦以後西漢・後魏・北齊・北周・隋・明時代に渉つて、幾度となく増築又は改築されたものである。
— 桑原隲藏 『秦始皇帝』 青空文庫
東漢の孝明帝とか、曹魏の高貴郷公とか、後魏の孝文帝とか、北周の武帝とか、養老の禮を擧行した天子は決して稀有でなかつた(『玉海』卷七十四參看)。
— 桑原隲藏 『支那の孝道殊に法律上より觀たる支那の孝道』 青空文庫
この『九朝律考』の九朝とは、漢から始まつて魏、それから晉――南朝の間では大體晉律を用ゐたやうでありますが――、梁・陳・後魏・北齊・北周・隋と、これだけを云ふのであります。
— 桑原隲藏 『支那の古代法律』 青空文庫
北周の武帝も佛教を迫害したが、これは道士の張賓や衞元嵩に聽いた結果である。
— 桑原隲藏 『老子化胡經』 青空文庫
作例 · 標準
中国の南北朝時代には、北周のような短命な王朝も存在した。
幻辭AI · gemini-2.5-flash
歴史書によれば、北周は武帝の時代に国力を増した。
幻辭AI · gemini-2.5-flash
北周の美術品は、その後の王朝の文化にも影響を与えた。
幻辭AI · gemini-2.5-flash
ウィキペディア
北周 は、中国の南北朝時代に鮮卑系の宇文氏によって建てられた国。正式な国号は周であるが、紀元前11世紀から紀元前3世紀まで続いた周をはじめとする同名の王朝と区別するために北周と呼ばれる。
出典: 北周 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0