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暦応

りゃくおう異読 れきおう
名詞
1
標準
Ryakuō era (of the Northern Court; 1338.8.28-1342.4.27)
文例 · 用例
南朝の暦応三年も秋ふけて、女の笠の褄をすべる夕日のうすい影が、かれの長い袂にまつわる芒の白い穂を冷たそうに照らしていた。
岡本綺堂 小坂部姫 青空文庫
其名がものに見えた初めは蕨岡の社の鰐口の銘で、奉懸鳥海山和仁口一口右意趣者萩原守重息災延命加右故暦応五年壬午七月廿六日  白とあり、『風土略記』には大物忌の神山を土俗北の山といふ。
木暮理太郎 二、三の山名について 青空文庫
暦応は北朝の年号で、その五年は後村上天皇の興国三年に当り、四月二十八日に康永と改元されている。
木暮理太郎 二、三の山名について 青空文庫
)とにかく、比叡に学び、後諸国|行脚もしたが、大体は為世の門に学んだ都住みの歌僧で、為世の薨じた暦応元年(延元四年)は五十歳であるが、師の亡き後は京都歌壇の元老であった。
風巻景次郎 中世の文学伝統 青空文庫
その地域をあてて、寺名も北朝年号をそのまま「暦応禅寺」となし、国師に、その開基となってもらいたいというのが、尊氏の希望であった。
黒白帖 私本太平記 青空文庫
もとより尊氏の心もそこにないのではございません」 尊氏は帰るとさっそく朝廷に奏請して、亀山殿のあとを一大寺とする手つづきをすませ、高ノ師直と細川|和氏のふたりを、 暦応禅寺造営奉行 に、任命した。
黒白帖 私本太平記 青空文庫
しかるに、そのうえにも、戦乱の張本人足利殿へ媚びて、味噌すり坊主の夢窓が、禅家の権力をひろげんとし、かつは自己宣伝のため、一大寺を造営せんなどとは、言語道断だ」 ごうごうと、こう誹る声もあり、また、「一|禅寺に、暦応の年号を謳うなども、以てのほかな僭上だ。
黒白帖 私本太平記 青空文庫
それは、 暦応四年の七月十三日 で、このあいだ、一年半もたっていた。
黒白帖 私本太平記 青空文庫
作例 · 標準
暦応は南北朝時代の北朝側で使われた元号で、足利尊氏が室町幕府を開いた頃にあたる。
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博物館に展示されているこの古文書には、暦応三年の日付がはっきりと記されている。
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歴史の授業で、暦応年間に起きた動乱の経緯について詳しく学んだ。
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ウィキペディア

暦応(りゃくおう、 は、日本の元号の一つ。南北朝時代の、光明天皇の代で北朝 が使用した。建武の後、康永の前。1338年から1342年までの期間を指す。

出典: 暦応 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0