駕輿
かよ
名詞
標準
文例 · 用例
この驕々たる三馬が一日思い立って日本橋から遠い四谷の端れまで駕輿をやったのは、狂歌師|宿屋飯盛としての雅望と、否、それよりも六樹園の本来の面目である国文学の研究に少からず傾到するところがあったからだ。
— 林不忘 『仇討たれ戯作』 青空文庫
八阪の駕輿丁の出る村だから、京の山鉾を似せて、舁き出したと言ふ事もなり立つかも知れぬ。
— 折口信夫 『村々の祭り』 青空文庫
今宮の駕輿丁の話は、祇園の神の召使ひであつた俤を示すと共に、広田や西の宮(夷神)と引つかゝりを見せてくれるのである。
— 折口信夫 『村々の祭り』 青空文庫
現にかの八瀬童子の如きは、本来筋の違う山人の子孫であるという事を以て、御所に薪炭を供給し、駕輿丁にも採用されたので、後の世までも一種変った伝説と風俗とを保持し、御所と特別の関係を有していたのであった。
— その一例として飛騨の牛蒡種 『憑き物系統に関する民族的研究』 青空文庫
彼らは鎌倉・室町時代には、キヨメ或いは河原ノ者と呼ばれて、社寺都邑の掃除夫・井戸掘り・駕輿丁・植木屋などの雑職をつとめ、勿論その職掌上、世間から幾分賤視されてはいたであろうが、決して彼らのみが特別に穢れたものとして、疎外されるという様な事はなかったに相違ない。
— 喜田貞吉 『エタに対する圧迫の沿革』 青空文庫
また貞治四年「師茂記」に見える「穢多」は祇園御霊会の駕輿丁であった。
— 喜田貞吉 『「エタ」名義考』 青空文庫
かつまた、駕輿丁の雑人をつれていたわけでもないので、そのおん輿は、大膳ノ大夫|重康、楽人の豊原兼秋、随身の秦久武などが、馴れぬ肩に、舁きまいらせたとのことであるから、途上の難行苦行のていも、察するに余りありといっていい。
— 帝獄帖 『私本太平記』 青空文庫
賢所の神器を、玉体にお添えし、鳳輦へと、お急き立てはしたものの、それをかつぐ駕輿丁の者はいず、ぜひなく、衛府の士が前後を担いまいらせる。
— 風花帖 『私本太平記』 青空文庫