延享
えんきょう
名詞
標準
Enkyō era (1744.2.21-1748.7.12)
文例 · 用例
さればカレイも邪視する魚と嫌うた物か[延享二年大阪竹本座初演、千柳、松洛、小出雲合作『夏祭浪花鑑』義平治殺しの場に、三河屋義平治その婿団七九郎兵衛を罵る詞に、おのれは親を睨めおるか、親を睨むと平目になるぞよ、とある。
— 蛇に関する民俗と伝説 『十二支考』 青空文庫
それは、了海が樋田の刳貫に第一の槌を下してから二十一年目、実之助が了海にめぐりあってから一年六カ月を経た、延享三年九月十日の夜であった。
— 菊池寛 『恩讐の彼方に』 青空文庫
既にして亮が三十歳になつた延享二年に、又明霞が歿した。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
延享中に淡淵は年四十に垂として芋生から名古屋に遷つた。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
延享四年三月の末である。
— 芥川龍之介 『忠義』 青空文庫
三 刃傷 延享四年八月十五日の朝、五つ時過ぎに、修理は、殿中で、何の恩怨もない。
— 芥川龍之介 『忠義』 青空文庫
「宮城野|信夫」なる話が全然架空の事実で、大田蜀山人の例の手紙――手紙などは全く偽物であって、暇に任せて拵えたものらしいが、この瀬川の話なども、延享から宝暦へかけての、江戸時代でも一番退屈であった盛りの時に、欠伸除けに造られたものらしい。
— 直木三十五 『傾城買虎之巻』 青空文庫
書き卸しは延享二年七月、並木千柳・三好松洛・竹田小出雲の合作で、団七九郎兵衛・釣舟三婦・一寸徳兵衛と角書きして「夏祭浪花鑑」とある。
— 折口信夫 『涼み芝居と怪談』 青空文庫
作例 · 標準
延享の時代、江戸では歌舞伎や浄瑠璃といった庶民文化が花開いた。
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この屏風絵は、延享年間の市井の様子を生き生きと描いている。
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延享の改革は、財政再建を目指したが、その効果は限定的だった。
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ウィキペディア
延享 は、日本の元号の一つ。寛保の後、寛延の前。1744年から1748年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇、桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗、徳川家重。
出典: 延享 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0