永仁
えいにん
名詞
標準
Einin era (1293.8.5-1299.4.25)
文例 · 用例
永仁元年四月の地震も、正嘉の地震に劣らない地震であった。
— 田中貢太郎 『日本天変地異記』 青空文庫
「好古日録永仁古文孝経の条に※斎云。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
社は現に猪苗代町の北方に立派に保存され、宝物の鏡の銘に奉懸岩椅大明神 本地御正体一面右志趣者為心中祈願成就円満乃至法界平等利益所奉□□如件永仁三年閏二月十八日 藤原氏女 敬白と記されている。
— 木暮理太郎 『二、三の山名について』 青空文庫
永仁は伏見天皇の年号であるから、今より六百三十四年前のものである。
— 木暮理太郎 『二、三の山名について』 青空文庫
それが後になって訓の同じき梯が椅に代用され、石が磐となり、バンダイと音読されるようになったのは何時の頃か判明せぬが、永仁三年以後であることだけは確である。
— 木暮理太郎 『二、三の山名について』 青空文庫
相模湾から発する大地震 過去において相模湾から発現し、関東全域に被害を生じたと推定される大地震は、(一)弘仁九年、(二)永仁元年、(三)永享五年、(四)元禄十六年及び、(五)大正十二年の五回である。
— 武者金吉 『地震なまず』 青空文庫
永仁元年(西暦一二九三)の地震は鎌倉時代の被害のみが伝えられて、他の地方の被害状況が明らかでないが死者二万人と言われ、また「諸国大地震」などと記されてあることによって、三浦半島から発した局部的地震とは考えられない。
— 武者金吉 『地震なまず』 青空文庫
右に述べた五回の大地震の時間的間隔を調べて見ると、四百七十五年、百四十年、二百七十年、二百二十年となり、弘仁・永仁両地震の間隔が、他の場合とくらべて、非常に長いことが気づかれる。
— 武者金吉 『地震なまず』 青空文庫
作例 · 標準
永仁の乱は、当時の朝廷と幕府の関係を大きく揺るがす出来事だった。
幻辭AI · gemini-2.5-flash
この古文書によれば、永仁三年には大規模な飢饉があったと記されている。
幻辭AI · gemini-2.5-flash
永仁年間に制作された仏像は、当時の文化が色濃く反映されている。
幻辭AI · gemini-2.5-flash