バビロン捕囚
バビロンほしゅう
名詞
標準
Babylonian Captivity (of the Israelites, 586 BCE-539 BCE)
文例 · 用例
此の部分はイザヤの言ではなく、その後二世紀を経てバビロン捕囚の国民的悲運を経験した時代に、或る名の伝わらない預言者の宣べた言であって、其後更に二世紀|経ってイザヤ書が今日の形に編輯せられた時、その編輯者がイザヤ書預言の最終曲として此処に収載したものである。
— 矢内原忠雄 『帝大聖書研究会終講の辞』 青空文庫
バビロン捕囚といふ悲運の中からかかる希望の声を挙げた人、又この詩を最終曲としてイザヤ書を編輯した人は、実に大きな信仰をもった人と思う。
— 矢内原忠雄 『帝大聖書研究会終講の辞』 青空文庫
後バビロン捕囚から国民が帰還して、神殿が再建せられ、次第に国土の荒廃も恢復したが、何となく国民の気力がない。
— 矢内原忠雄 『帝大聖書研究会終講の辞』 青空文庫
このようにモーセの五書は、預言者時代からバビロン捕囚時代を経て、その後に至る長い歴史の間に編集されたものであって、編集当時の宗教観念や宗教思想によって、古代の資料が解釈され、もしくは記述されていることを免れない。
— 矢内原忠雄 『キリスト教入門』 青空文庫
その後紀元前五三八年ペルシャ王クロスがバビロンを滅ぼし、ユダヤ人を解放して、エルサレムの神殿復興を許可したのであるが、バビロン捕囚はイスラエル民族にとって出エジプト以来の大事件であり、それがイスラエルの宗教に与えた影響は実に大であった。
— 矢内原忠雄 『キリスト教入門』 青空文庫
右の編纂事業は、紀元前第八世紀より第六世紀に至る間に、幾度かの改訂を経て行なわれ、それが今日のごとき形でできあがったのはバビロン捕囚の時期であろうと言われる。
— 矢内原忠雄 『キリスト教入門』 青空文庫
断食は元来モーセの律法では、『贖罪の日』において守るべきことが規定せられているだけであったが(レビ記一六の三一)、バビロン捕囚後しだいに断食の日が多くなり、熱心なパリサイ人は毎週第二日と第五日と二日も断食日を守るようになっていた。
— マルコ伝による 『イエス伝』 青空文庫
パリサイ派というのはバビロン捕囚から帰還後に起こった宗教改革運動でありまして、ユダヤの宗教を純粋に維持しようという国粋主義であります。
— マルコ伝による 『イエス伝』 青空文庫
作例 · 標準
旧約聖書には、ユダヤ人がバビロン捕囚によって苦しんだ歴史が記されている。
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バビロン捕囚は、ユダヤ教の発展に大きな影響を与えた出来事である。
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彼は歴史ドキュメンタリーでバビロン捕囚の経緯について詳しく知った。
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ウィキペディア
バビロン捕囚 は、新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンを始めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され、移住させられた事件を指す。バビロン幽囚、バビロンの幽囚ともいう。
出典: バビロン捕囚 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0