諸蕃
しょばん
名詞
標準
foreign lands
文例 · 用例
近年有名になつたのは趙汝※の諸蕃志である。
— ――史記より清初まで―― 『支那史學史概要』 青空文庫
高宗の崩御の際、諸蕃酋の親しく來弔する者六十一人もあつた。
— 桑原隲蔵 『大師の入唐』 青空文庫
千二百餘年後の今日に至つても、乾陵の諸蕃酋の石像は依然として存在して居る。
— 桑原隲蔵 『大師の入唐』 青空文庫
大師の入唐より約百年前に、則天武后の延載元年(西暦六九四)に、諸蕃長は醵金して、武后の徳を頌する爲に、洛陽の宮城の正門前に、銅鐵製の天樞を建てた。
— 桑原隲蔵 『大師の入唐』 青空文庫
南宋の趙汝※の『諸蕃志』に、この國のことを記して、國人多姓蒲とあるのは、當時この國に假寓したアラブ商人のことを指した樣に想はれる。
— 桑原隲藏 『蒲壽庚の事蹟』 青空文庫
又水戸藩で編纂した『大日本史』には、支那を諸蕃傳に列してある。
— 桑原隲藏 『東洋史上より觀たる明治時代の發展』 青空文庫
支那を諸蕃扱にしたものは、尚更見當らぬ。
— 桑原隲藏 『東洋史上より觀たる明治時代の發展』 青空文庫
支那の歴史に日本を東夷傳に入るる以上、日本の歴史に支那を諸蕃傳に列して、不思議はないのである。
— 桑原隲藏 『東洋史上より觀たる明治時代の發展』 青空文庫
作例 · 標準
かつて日本には、諸蕃と交流する窓口があった。
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唐の時代には、中国と諸蕃との間で盛んに交易が行われた。
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諸蕃の文化は、日本の文化にも影響を与えたと言われている。
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標準
clans supposedly descended from foreign lineage (i.e. Chinese or Korean)
作例 · 標準
古くは百済や新羅からの渡来人によって諸蕃が形成された。
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諸蕃の系譜は、古代日本の国際関係を物語っている。
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日本の歴史において、諸蕃は重要な役割を担っていた。
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ウィキペディア
諸蕃(しょばん)とは、古代日本における用語で、「三韓」と呼ばれた朝鮮半島の国々及び高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)など朝鮮諸国と中国に対する呼び名。和訓は「となりのくに」。「もろもろのえびす」。また、三韓に出自を持つ渡来人系氏族を指す言葉としても用いられた。秦氏、百済王氏などが知られる。
出典: 諸蕃 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0