璃寛
璃寛
名詞
標準
文例 · 用例
次が八月狂言の「吾嬬下五十三次」で、天一坊は小団次、地雷也は嵐|璃寛、お六は坂東しうかであつた。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
団十郎、菊五郎、左団次は勿論、家橘、芝翫、高助、福助、秀調、海老蔵、小団次、松助に、大阪方の璃寛、右団次を加えたる大一座にて、俳優の共進会と称せらる。
— 岡本綺堂 『明治演劇年表』 青空文庫
○五月三十一日、四代目嵐璃寛、大阪に死す、五十八歳。
— 岡本綺堂 『明治演劇年表』 青空文庫
その上演は嘉永五年、河原崎座の七月興行で、原作の初編から十編までを脚色して、外題はやはり「児雷也豪傑|譚話」――主なる役割は児雷也(団十郎)、妖婦越路、傾城あやめ、女巡礼|綱手(岩井粂三郎)、高砂勇美之助、大蛇丸(嵐|璃寛)などであった。
— 岡本綺堂 『自来也の話』 青空文庫
襲名興行2・23(夕) 中村|雀右衛門に次いで、尾上|多見蔵の襲名があり、春の道頓堀では嵐徳三郎が、亡父の二十五年忌を機に、四代目|璃寛の名跡を相続するとの噂がある。
— 大正七(一九一八)年 『茶話』 青空文庫
徳三郎の父親、三代目璃寛は、鏡山のお初が得意だつたので、今度徳三郎の襲名興行にも鏡山を出す事になるかも知れないが、その三代目璃寛のお初については哀れな逸話が残つてゐる。
— 大正七(一九一八)年 『茶話』 青空文庫
璃寛が万延元年道頓堀筑後の芝居で、和三|郎から初めて徳三郎になつた折の事、ある日|北船場の物持平野屋の一族が、西桟敷の幾つかを買ひ切つて、見物に来てゐたが、そのなかに別家の一人娘お常といふのがゐて、徳三郎の優姿を見初めて、顔を杏のやうに赧くした。
— 大正七(一九一八)年 『茶話』 青空文庫
」襲名興行の口上4・28(夕) 嵐徳三郎が今度璃寛を襲名するについて、仕打の松竹合名社から口上役について、徳三郎の許へ相談に往つたものだ。
— 大正七(一九一八)年 『茶話』 青空文庫