粛慎
しゅくしん
名詞
標準
Sushen (ancient ethnic group of people who lived in northeastern China)
文例 · 用例
「続日本紀には奈良朝前後に粛慎人及び渤海人が、日本海を渡つて来朝した記載がある。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
不射之射には、烏漆の弓も粛慎の矢もいらぬ。
— 中島敦 『名人伝』 青空文庫
此の大江に臨んだ吉林の地は周以前に於て息慎(即ち粛慎)国の根拠地であり、漢には「※婁」、六朝には「勿吉」、隋や唐では「靺鞨」、金遼時代には「女真」の有力な大部落が占めて居た。
— 附 満蒙の歌 『満蒙遊記』 青空文庫
旧の粛慎国なり」、「国に大水あり、濶さ三里余、速末水と名づく」とあり、「隋書」の「靺鞨伝」に「靺鞨は高麗の北に在り。
— 附 満蒙の歌 『満蒙遊記』 青空文庫
此地は周以来、粛慎、扶余、渤海等に属し、元以後は内蒙古の科爾沁部の遊牧地であつたが、清の乾隆年間に札薩克の拉布坦が山東の農民を招いて開墾させ、一部落を作つて長春堡と名づけて以来百年の間に、漸次今日のやうな著しい発達を遂げた。
— 附 満蒙の歌 『満蒙遊記』 青空文庫
吉林(吉林即古粛慎地)三千年旧国。
— 附 満蒙の歌 『満蒙遊記』 青空文庫
かの欽明天皇の朝に粛慎人が佐渡島に漂着した事実を始めとして、敦賀を目指した勃海の船が、しばしば能代・津軽等に漂着した実例は少くない。
— 喜田貞吉 『奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について』 青空文庫
斉明天皇の御代に阿倍比羅夫が征伐した粛慎や、養老年間に渡島津軽津の司諸君鞍男が調査に行った靺鞨というものは、このオロッコ族であったと解しているものである。
— 喜田貞吉 『「エタ」名義考』 青空文庫
作例 · 標準
中国の古い史書には、東北アジアに住む粛慎という民族から矢が献上された記録がある。
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粛慎は狩猟を得意とし、石の矢尻を用いた強力な弓を使っていたと伝えられている。
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古代の日本とも交易があったとされる粛慎の文化について、考古学的な調査が進んでいる。
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ウィキペディア曖昧さ回避
粛慎(しゅくしん、みしはせ、あしはせ)とは、以下の2つを指す。 しゅくしん(拼音:Sùshèn):中国の文献中にみられ、紀元前に中国東北地方及びロシア・沿海地方(旧満洲)に住んでいたとされ、後代の挹婁・勿吉・靺鞨・女真・満洲族の祖先に比定される狩猟民族。ツングース系の満洲語群に比定される。 みしはせ、あしはせ:日本の『日本書紀』の中に、6世紀以降の記述が見られる民族。中国文献中の粛慎とは存在した時期にかなりの開きがあり関係性は不明。
出典: 粛慎 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0