悪左府
あくさふ
名詞
標準
文例 · 用例
忠実の子が悪左府頼長、頼長の子が兼長、兼長の子が生田頼宗である。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
宇治の悪左府藤原頼長の書いた「台記」の中に、近衛天皇の大嘗祭の時に、中臣氏の唱へた寿詞――中臣天神寿詞――が、記してある。
— 折口信夫 『古代人の思考の基礎』 青空文庫
これは院政以来の上層部の大きな欲求で、保元平治の乱の頃の大立物であった悪左府頼長、すなわち道長の直系の関白忠通の弟であった頼長は、ことに政治制度の上での復古主義者で、律令格式の研究に熱中し、政令上に出でて下これを通ずる一糸乱れない平安初期の秩序にかえそうと思っていた。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
しかしすばらしい富豪であったということが悪左府頼長の日記の『台記』にしるされている。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
また、悪党楠木とご卑下だが、悪左府、悪源太、悪七兵衛、それもよからずや、と申しあげたい。
— 帝獄帖 『私本太平記』 青空文庫
少納言信西でも、朱鼻の伴卜でも、悪左府でも、以後の悪党らしいやつも、末路へ来ると皆いつのまにか、憎めない人間みたいになってしまう。
— 吉川英治 『随筆 新平家』 青空文庫
関白|忠通と、悪左府頼長の争いは、その典型的なものであり、朝廷方、院方と分れて、しかも骨肉相戦う、保元の乱を、招来する。
— 吉川英治 『随筆 新平家』 青空文庫
ひとり清盛ばかりでなく、文覚でも西行でも、悪左府でも忠通でも、また義朝や新院の君でも、みな同じことがいえる。
— 吉川英治 『随筆 新平家』 青空文庫