軽藩
けいはん
名詞
標準
文例 · 用例
ここには、津軽藩の歴史のにほひが幽かに残つてゐた。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
ここは津軽藩の歴史の中心である。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
津軽藩祖大浦為信は、関ヶ原の合戦に於いて徳川方に加勢し、慶長八年、徳川家康将軍宣下と共に、徳川幕下の四万七千石の一侯伯となり、ただちに弘前高岡に城池の区劃をはじめて、二代藩主津軽信牧の時に到り、やうやく完成を見たのが、この弘前城であるといふ。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
私の先祖は代々、津軽藩の百姓であつた。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
私はこの旧津軽藩の城下まちに、こだはりすぎてゐるのだ。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
昔から、日本三大森林地の一つとして数へられてゐるやうであつて、昭和四年版の日本地理風俗大系にも、「そもそも、この津軽の大森林は遠く津軽藩祖為信の遺業に因し、爾来、厳然たる制度の下に今日なほその鬱蒼をつづけ、さうしてわが国の模範林制と呼ばれてゐる。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
分家の黒石藩が南にあるが、この辺にはまた黒石藩としての独自の伝統もあり、津軽藩とちがつた所謂文化的な気風も育成せられてゐるやうだから、これは除いて、さうして、北端は竜飛である。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
江戸時代、青森、鯵ヶ沢、十三などと共に四浦の町奉行の置かれたところで、津軽藩の最も重要な港の一つであつた。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫