建中
けんちゅう
名詞
標準
文例 · 用例
裴氏慧琳が音義一百巻を著したのは、「以建中末年剏製」とも云つてあり、又「起貞元四年」とも云つてある。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
太守弓遵遣建中校尉梯儁等。
— 内藤湖南 『卑彌呼考』 青空文庫
大師の作られた、「爲大使與福州觀察使書」の中に、建中(西暦七八〇―七八三)以往、入朝使船、直着揚蘇。
— 桑原隲蔵 『大師の入唐』 青空文庫
『宋高僧傳』の卷二に、迦畢試の智慧を收め、卷三に※賓の般若を收めてあるが、之は何れも同一の般若三藏を指したものかと疑はれる――天竺を歴游した後ち、海路から廣州に來り、徳宗の建中三四年(西暦七八二―七八三)の頃に長安に到着した。
— 桑原隲蔵 『大師の入唐』 青空文庫
この般若三藏の相手となつた大秦寺の僧景淨といふは、徳宗の建中二年(西暦七八一)に建設された、かの有名な大秦景教流行中國碑文を撰述した人である。
— 桑原隲蔵 『大師の入唐』 青空文庫
即ち代宗の大暦三年(西暦七六八)、徳宗の大暦十六年(實は建中二年、西暦七八一)、大暦十七年(實は建中三年、西暦七八二)、建中三年(西暦七八二)、建中七年(實は貞元二年、西暦七八六)、建中八年(實は貞元三年、西暦七八七)、貞元六年(西暦七九〇)の古文書である(32)。
— 桑原隲藏 『紙の歴史』 青空文庫
ネストル教の寺院は、もと波斯寺と稱せられたのを、玄宗の天寶四載(西暦七四五)の詔で、爾後、大秦寺と改稱したのであるから、建中二年(西暦七八一)建立の景教碑にいふ義寧坊の大秦寺とは、即ち『兩京新記』の義寧坊の波斯胡寺なること申す迄もない。
— 桑原隲藏 『大秦景教流行中國碑に就いて』 青空文庫
碑文に據ると唐の玄宗の天寶元年(西暦七四二)の建設であるから、かの徳宗の建中二年(西暦七八一)に建てられた大秦景教流行中國碑よりも約四十年前のものである。
— 桑原隲藏 『創建清眞寺碑』 青空文庫
ウィキペディア曖昧さ回避
建中(けんちゅう)とは 建中 (唐):唐徳宗の元号。 建中 (陳朝):ヴェトナム陳朝の元号
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