胡寺
こじ
名詞
標準
文例 · 用例
併し殘缺ながら今日に傳はれる『兩京新記』の内容を調査すると、波斯寺二とある中の一つは、右街の醴泉坊に在る波斯胡寺で、これは高宗の儀鳳二年(西暦六七七)に、當時唐の保護を受けて居つたペルシア王|卑路斯の爲に建立したもので、ゾロアスター教の寺である。
— 桑原隲蔵 『大師の入唐』 青空文庫
今一つは同じく右街の義寧坊に在る波斯胡寺で、これは唐の太宗の貞觀十二年(西暦六三八)に、ネストル教の僧の阿羅本の爲に建立したもので、かの大秦景教碑に、有司即於京義寧坊、造大秦寺一所――ここに大秦寺といふは、天寶四載以後の名稱に據つたものである――とあるもので、ネストル教の寺を指すこと疑を容れぬ。
— 桑原隲蔵 『大師の入唐』 青空文庫
(三)景教碑に長安の義寧坊に大秦寺を建てたとあるが、この大秦寺は唐の玄宗の開元中(西暦七一三年乃至七四一年)に、韋述の作つた『兩京新記』に、長安の義寧坊の波斯胡寺と記載されてある。
— 桑原隲藏 『大秦景教流行中國碑に就いて』 青空文庫
ネストル教の寺院は、もと波斯寺と稱せられたのを、玄宗の天寶四載(西暦七四五)の詔で、爾後、大秦寺と改稱したのであるから、建中二年(西暦七八一)建立の景教碑にいふ義寧坊の大秦寺とは、即ち『兩京新記』の義寧坊の波斯胡寺なること申す迄もない。
— 桑原隲藏 『大秦景教流行中國碑に就いて』 青空文庫
(一)宋の宋敏求の『長安志』に唐代長安に在つたネストル教の波斯胡寺、ゾロアスター教のが果して進士及第者であるかは頗る疑問であるが、たとひ彼を進士及第者としても唐時代に賜進士及第と稱したかは一層の疑問である。
— 桑原隲藏 『創建清眞寺碑』 青空文庫
(下略) 西安府誌に屬せる長安の地圖には、波斯胡寺の舊跡は尚記載せらるゝを見る、殊に景教碑の記す所の事實の疑ふ可からざるは、豐碑の現存と倶に種々の史跡に徴して明白なるものなり。
— イー、エー、ゴルドン 『弘法大師と景教との關係』 青空文庫